第2章 その名を呼べば
落ち着きを取り戻した美桜は、自分の足で歩く冷たい廊下の感触を素肌に感じ刻み込む。
胸の痞えを吐き出した今、また気持ち新たに前を向いて進まなければと、身体に言い聞かせるように一歩一歩を踏みしめる。
たとえ強がりだと思われようと、進むことを諦めてしまっては、きっと何も残らない。
どんなに不恰好な一歩でも、どんなに小さな一歩でも、進めばきっと何かが残るに違いない。
現実はきっと、そうは甘くはないだろう。
だから尚更、自分が甘えてしまうわけにはいかなかった。
「……やれやれ、俺の主は休むってことを知らないらしい」
薄闇に紛れて、声が届く。
幾らか灯りの点った本丸からではその姿は捕らえ難く、美桜は声の主を求めるように目を細めた。
ふわりと浮かぶ白。
曖昧な輪郭は、より一層その存在を際立たせる。
「鶴丸様……おかえりなさい」
「帰ったぜ。土産話でも聞くかい?」
ひょいっと近付いてその顔を覗き込む。
美桜が自分を見て、それまでの張り詰めていた表情を緩めたのが分かり、鶴丸はどこか安心をするのと同時に照れ臭さを覚えた。
それを隠す為に軽い言葉を投げてしまったが、失敗だったかと内心穏やかではなかった。
「鶴丸様は、いつも――――」
続く言葉は、彼女の唇から零れる笑みに飲み込まれて。
「おっと、その後が気になるぞ、主……」
「いえ、何でもありません――――」
「って、おいおい。何でもないなら、主は何故そんなに笑っているんだ?」
そう返しながらも、その笑みを守りたくて。
他愛無いやり取りが、当たり前の日常になって。
今、目の前にある確かな現実を、これからも続く毎日に繋げたいと、鶴丸は改めて強く思った。
「鶴丸様、そろそろお腹が空いていませんか?遅くなってしまい申し訳ありませんが、今から作ろうかと」
「お、いいねえ。……じゃ、俺は着替えてくる。白い着物は汚れが目立つんでな」
そう言って翻した、鶴丸の衣が目に映る。
美しい白であったのにあちこち薄汚れてしまっていて、美桜は思わず鶴丸の袖を掴んでしまった。