第1章 前夜
神無が寝たのを確認した葉月は、少し開いた障子の隙間から母親を見る。
毎日のように、机に突っ伏し、無様に酒に溺れている様を見て、ずっと疑問に思っていることがあった。
何に脅えているのだろう、と。
借金の取り立てに怯えているのなら、このアパートにも毎日のように取り立てが来るものだ。
だが、殆どドアのチャイムがならないこの部屋に限って、それは有り得ないだろう。
母親に興味が無い葉月にとって、唯一ずっと考えてきた疑問、それがこれだった。
すると突然、障子の奥に映る母親が急に起き上がり、震え出した。
「明日よ!」
髪をかきむしり、一心不乱に震えた声で叫び出した。
「鬼が…、鬼が来る!!」
泣き叫ぶ母親が目に焼き付く。
………鬼……?
聞き慣れないその言葉はおとぎ話の中の人間が想像で作り出した、生物の事を言っていた。
これまで、そのような得体の知れないものに怯えてきたのだろうか。
さっきの神無の言葉を思い出す。
『ねえ…葉月、お母さん、おかしくなっちゃったのかな…?』
神無の言うとおり、本当におかしくなってしまったのだろうか。
それとも不運が来るという比喩表現なのだろうか。
いや、あれはそうは見えない。あの怯え方は異常だ。
この少し狭い部屋の中、葉月は1人ので考え続ける。
しばらく経った時だろうか、いつの間にか泣き叫ぶ声が消えていた。母親が眠ってしまったようだ。
泥のように眠りについた母親につられるように眠気が襲ってきた。
部屋の隅で小さくなって眠る。それが癖になっている葉月は、いつも通り、こじんまりと体を丸め、瞼を閉じ、眠りにつく。
8月31日、少女2人にとって、15歳、最後の夜だった。