第38章 第37セット
俺は、一年前の夏休み
烏養元監督のキツイ練習に着いて行けなくなり
数日後、俺は中学から続けてきた練習を初めてサボった。仮病を使った。
罪悪感はあったけど、開放感のほうが勝っていた。
次の日も、その次の日も
練習には参加しなかった。
大地さんに説得され、
田中と西谷に引き摺られ、
木下と成田と逃げるように下校し、
自由を満喫していた
それでもやっぱり
レシーブが綺麗に上がった時の痛みや達成感が忘れなれなかった。
バレーから離れたことが苦しくて仕方がなかった。
俺がバレー部に戻ると同時に木下と成田も戻ってきて、当時練習をボイコットした一年は5人。
そのうち二人はバレー部を辞めて前より活き活きしてるように見える。
どっちがいいのかなんて人によるんだろうけど、
俺はバレーをやっていない時の方が苦しかったから戻った。でも“逃げた”と言う負い目は多分消えない。
次の主将の話が出た時、田中には「“だから”かもな」と言われた。
あの時はピンとこなかったけど、
____どの道根性なしには務まる筈が無い
優さんにも教わったじゃないかッ!