第1章 髪垂れた未来を
お客さんを招いてくつろがせる鏡前のチェアも、ヘアカット後にサッパリ感を味わわせるシャンプー台も、何もかもが厚手の透明ビニールとガムテープで被されている。部屋全体に埃が溜まっており、鏡でさえも曇っている状態だ。覗き込む者をぼんやりとしか映さないソレは、既に己の役割を放棄していた。洋風の髪型を仕上げる為、かつては最先端モデルだったパーマ当ても部屋の角に集められ、静かに立っている始末である。順番待ちのお客さんが座る椅子や、暇つぶしのために置かれていた雑誌にいたっては、もう処分されているのだろう。何処を見ても無い。何もかもが変わってしまった店に一抹の寂しさを覚えながら、沖田は玄関先で哀愁に浸った。
そうしてぼんやりと頭を空っぽにしていれば、ぎしり、ぎしりと床の軋む音が耳に入る。はっ、と我に返れば動く影が店の奥から見えた。あまりにも感傷的になっていたのか、沖田は人の気配に気付けなかった己に多少のショックを受ける。しかし、そんな内心よりも、彼の興味は目の前の人間へと移っていた。
日の当たらない場所からシルエットで確認できるのは、その人物が女性である事。締まりの良い、若そうな体つきではあったが、その女性は頼りなく不安定な歩みで近づいて来た。手は常に壁か周辺の物を支えに伝い、おぼつかない足取りでやって来る。僅かな夕日に照らされる位置に止まれば、その女性は動きに似合わず明るく声を沖田にかけた。
「あら、お客さん? ごめんなさい、看板は出しっぱなしだけど見ての通りもう閉店してるのよ」
その一言は、残念ながら沖田の耳に入らなかった。光で露になった女性の姿に唖然としていたからだ。そんな沖田の反応はつゆ知らず、女性は少しの嘲笑を交えながらも、再び明るい声で続けた。
「それに病気が移るわ。早く出て行きなさい」
優しい声は相変わらずだった。手入れの行き届いている髪質も相変わらずだった。顔つきと体は五年前よりも大人っぽくなっており、色気が増していた。これだけの変化であれば、沖田は手放しで喜んでいただろう。しかし、彼女の色素が抜け落ちた髪と、焦点の合わない瞳がそれを許してはくれなかった。
愛する女性は、白詛に犯されていた。