第3章 聖餐式
クリスチャンでなくても全然構いません。
中には亡くなったペットの写真を持ってくる方もいました。
私も5年前に亡くなった彼氏さんの写真を持って行きました。
メモ紙に私の名前と亡くなった彼氏さんの名前を書いて写真立てに貼り聖壇の上に飾りました。
そして、共に礼拝を行いました。
礼拝をしていると、何とも言えない喜びにも似た感情が湧いて来るのです。
確かに今はもう亡くなってしまった彼氏さんですが、いずれ私も天に召されるのです。
今は遠く離れていても、また会えるのです。
その事が唯一の希望であり救いであると感じたのです。
礼拝の最期に讃美歌を唄い礼拝は終わりました。
礼拝が終わった後、聖壇に飾ってある亡くなった方の名前と写真を教会員の方が名前を読み上げて信徒の人達に見せて共に偲び合うのです。
その時間もとても穏やかで、満たされた時間でした。
私の彼氏さんの名前も呼ばれ、信徒の人達にお披露目?されました。
ちょっと恥ずかしくも感じたのですが、とても嬉しかったのです。
私は彼氏さんが突然亡くなった時、物凄い喪失感と哀しみに襲われました。
自分だけがこんなに哀しく、苦しく辛いのだと思っていました。
ですが、今日この「召天者記念礼拝」に出てみてそれは違うと改めて感じたのです。
自分と同じような、いや、もっと哀しく辛く苦しい思いをしている人は沢山いるのだと感じたのです。
先に旅立ってしまった人達に今、私たちにできる事は、亡くなった人の分まで幸せになり毎日笑顔で暮らして行く事が最大の供養なのだと感じたのです。
最愛の人との別れはとても辛いものです。
ですが、また会えるのです。
次に会った時この世での愉しかった思い出を沢山話してあげる事も供養なのではないでしょうか。
私たちはこの世を去る時、地位も名誉もお金さえも持ってゆく事は出来ません。
唯一持って行けるのは「思い出」だけなのです。
この世での沢山の愉しい思い出を胸にいっぱい詰め込んで、また彼氏さんに会いたいと思う今日この頃なのです。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。