第9章 春霖
『……っ、すみません……! わざわざ、起こしに来てくれたんですね……っ』
雫は着物の合わせをきゅっと整えると、恥ずかしそうに頬をほんのり桜色に染めながらも、僕に向かってぺこりと頭を下げたのだ。
「……あれ?」
予想に反して、まっすぐに感謝の言葉を伝えてくれた彼女を見て、僕は思わずぽかんと声を漏らしてしまった。
もっと真っ赤になって慌てるはずだったんだけどなぁ……。もしかして、こういうの慣れてるのかな。残念……
おちょくりがいのある可愛い反応を期待していた僕は、心の中で少しだけ拗ねながら唇を尖らせた。まあ、頬を染めて恥ずかしがっている今の顔も、十分すぎるくらいに可愛いんだけどさ。
「雫、お風呂入ってないよね?」
思いついたように僕が尋ねると、彼女は一瞬きょとんとした顔をして、それからさらに少しだけ頬の赤みを増して俯いた。
『あっ……はい、入ってないです……。朝まで寝てしまっていたので、昨日のままで……』
「んじゃ、今からお風呂入っておいでー。談話室で待ってるから」
『えっ……でも、五条先生をお待たせしてしまうなんて、そんな……!』
いつも自分の都合を後回しにして、四季庁や周りの顔色を窺って生きてきた彼女らしい、遠慮がちな言葉。
僕はそんな彼女の頭を、もう一度大きな手でぽんぽんと優しく叩いた。
「いいのいいの、大丈夫だよー。急がなくていいから、のんびり行っておいで」
『……っ、ありがとうございます、五条先生!』
僕の言葉にホッとしたように、雫は今日最初の、温かい満面の笑顔を僕に向けてくれた。
「あ、そうだ。お風呂から上がったらさ」
僕は立ち上がり、ドアの方へと歩き出しながら、悪戯っぽく振り返って微笑んだ。
「雫に合わせたい人がいるんだ。」
「今日、真希たちはみんな任務に出払っちゃっててさ。僕と君の二人きりなんだよね。二人じゃ授業もできないからね。いい機会だと思って」
『そうなんですね。……合わせたい人って、どんな方なんですか?』
「僕の同期で、すっごく腕のいいお医者さん。雫の体調のこともあるし、ちょっと紹介したくてさ。じゃ、待ってるねー」
僕はひらひらと手を振ると、部屋のドアを静かに閉めて廊下へと出た。