第1章 浮かぶ青
「あの、とても信じがたい話なのですが…空に人が浮かんでいたんです。その人を見ていたら手を振ってきて」
「それ、僕だよ」
刹那の言葉を遮って男がそういうと刹那は目を丸くした。
「え、いえ、そんなまさか」
さっきまで上空にいた人が逃げる刹那とぶつかれるほど短時間で降りてこられる訳がない。
刹那は初めは信じられずにいたが、男が「ホントだよ、もう一回やろうか?」と言ったり、「ほら、こうでしょ?」とひらひら手を振り空にいた人物と全く同じ動きをするのを見て、大きく見開いた目をぱちくりしていた。
男はそれを見ると愉快そうに笑う。
「てかさ、君、何なの?こんな時間に、こんな場所で、何が悲しいかわかんないけど泣いちゃってさぁ」
男は一番最初の冷えた言葉が嘘のように軽薄に尋ねてくるものだから思わず「私は…」と話しそうになって慌てて口を閉じる。
「…あの、ご心配おかけしました。私はこれで失礼いたします」
そそくさと立ち上がり、軽く服を整え、森に向かおうと男の脇を通った時だった。
「はい、ストーップ!」
男に手首をガッシリ掴まれた。
「君さ、今、不法侵入してるんだよ?現行犯だよ?」
ニッコリ笑う顔が男と出会ってから今までで一番怖いと感じた。
「あ、申し訳ありませんでした。もうしませんのでどうか…」
「見逃してほしい」とダメ元で懇願しようとしたが。
「いや、ダメ。ちょっと一緒に来て。ゆっくり話も聞きたいし」
と言うと男は易易と刹那の身体を肩に担いで歩き始めた。
「あ、いえ、私…」
こうして刹那は男の軽快な足取りで運ばれていくことになってしまった。
(これが噂の人攫い…!)
刹那は1000年近く生きてきて初めて、まさか天元のお膝元で人攫いに会うとは思ってもおらず呆然としていると。
「僕は五条悟。知ってる?」
「いえ、存じません」
「ははっ、やっぱり?君は?」
「え?」
「君の名前!」
「私の名前…」
「そうそう」
五条は急かすことなく刹那の言葉を待ってくれた。
「私の名前は―――」
刹那は記憶している自分の名前を何百年かぶりに名乗った。
何故だか八百比丘尼の名を出そうと言う気持ちは起きなかった。