第1章 深夜のマンションで
深夜、重い足取りでマンションの廊下を歩く。
ブラック企業での勤務を終えたが、自室である801号室に辿り着いた時には、時計の針はすでに日付をとうに回っていた。
鍵を開けて中に入り、疲労感にまみれた身体をベッドに投げ出したいところだったが、それ以上に腹の虫が限界を訴えていた。
何か腹に入れようと冷蔵庫を開けたものの、中にあるのはひからびた調味料とミネラルウォーターのペットボトルだけだった。
買い置きのカップ麺すら底を突いている。
「……最悪」
思わず溜息が溢れた。
仕方なくは財布とスマホだけを手に取り、再び玄関のドアを開けた。
近くのコンビニか、あるいは夜遅くまで開いているラーメン屋にでも行くしかない。
静まり返った共用廊下を進み、エレベーターの前に立つ。
下向きのボタンを押すと、すぐに電子音と共に重々しい扉が開いた。
乗り込み一階のボタンを押す。
だが、いつまで経っても駆動音ひとつせず、籠の中は不気味なほど静まり返っていた。
おかしい。
ボタンを何度か連打してみるが、ランプは点灯しているもののピクリとも動かない。
胸の奥に冷たい不安が過る。
諦めて階段を使おうとエレベーターを出ようとした、その瞬間だった。
背後の壁からまるで生き物のように蠢く「黒い影」が染み出してきた。
「えっ――」
声を上げる暇すらなかった。
影は瞬く間に無数の『手』の形を成し、の両手首、両足首、そして声を遮るように口元へと恐ろしい速さで絡みついてきた。
冷たい、粘つくような感触。
引きずられるようにして、背後のエレベーターの壁へと容赦なく押しつけられる。
「ん、むぐ……っ!?」
恐怖に血の気が引き必死に手足をバタつかせて暴れたが、影の力は見た目に反して鉄のように強固でまともに動けなかった。
パニックに陥る視界の先、エレベーターの照明がチカチカと明滅を始めた。
そして、突如目の前にそれはぬうっと現れた。
人の形を模した、黒いモヤのような幽霊。
顔と呼べる場所にはパーツがなく、ただ底知れない暗黒が広がっている。
それが、壁に縫い付けられたに向けて、ゆっくりと距離を詰めてきた。