第1章 嘘
蝶屋敷の庭に立ちながら、私はぼんやりと月を見上げていた。こんな夜は、どうしても思い出してしまう。あの少年のことを。
もう数ヶ月も前のこと。
あの日は茹だるような暑い日で、じとっとした空気が肌に纏わりつく夏の日だった。
本部でもあるお館様のお屋敷の廊下に、慌ただしい足音が行き交い、ひとりの少年が運び込まれてきた。私はその時しのぶ様の命でお館様にお薬を届けに来ていた。
「カヲルさん! お手伝いいただけますか?」
ただならぬ声に急いで向かうと、一目で重傷だとわかる状態の少年が横たわっていた。
血だらけで、息も弱くて、肉が裂かれていた。生きていることがもはや奇跡。そんな状態だった。
「この子の看病をお願いできますか?」
そう言って微笑んだのは、産屋敷あまね様だった。
「は、はい!」
私とあまね様。そしてお子様たちと交代で、付きっきりの看病だった。
手当をして、薬を飲ませ、汗を拭く。身体中の傷に障らないよう優しく。
時々、うなされるように眉を寄せることがあった。
そのたびに私は、そっと手を握った。
「大丈夫ですよ」
聞こえているかも分からない声で。それでも不思議と、手を握ると呼吸が少し落ち着く気がした。
少年の手は、驚くほど冷たかった。そして、細かった。まだ幼さの残る寝顔には、涙のあとが途絶えることがなかった。
この子は、どんなふうに戦ったのだろう。どんな思いで、鬼に向かったのだろう。そう思うと、胸がぎゅっと苦しくなった。
「……生きて」
思わず、そんな言葉が零れた。
あなたが誰でもいい。
どんな人でもいい。
ただ、生きて。
その時、眠っているはずの少年の指が、ほんのわずかに動いた。
気のせいかと思ったけれど。それでも私は、手を離さなかった。
それから、しばらくして少年は目を覚ましたと聞いたのは、私が本来の居場所である蝶屋敷へ戻ったあとだった。
鬼殺隊に入り、柱まで上り詰めたと聞いたのは、それから数ヶ月あとの事だった。それからと言うもの、鬼殺隊の中で、その名を聞かない日はなくなった。
「柱」それも、史上最年少の。雲の上の人になった少年。きっともう、私のことなんて覚えていない。それでいい。
そう思っていた。