第3章 【日車】ジャッジマンの戯れ
その日、奴が廊下の角を曲がる前から気配はあった。
九相図の呪力は他の術師とは質が異なっているからわかりやすい。
角を曲がってこちらに気づいた様子だが、あえて無視する。
彼女と交わしていたのは、過去の判例の話だった。
法令改正の経緯。
解釈の揺れ。
司法の限界。
彼女はよく覚えている。
そして、よく考えている。
知識を誇示しない。
相手の意見を奪わない。
議論を楽しむ。
――人間らしい。以前よりもずっと。
「と話していると判例解釈が広がるな」
本音だった。
彼女は嬉しそうに笑う。
褒められるのを嬉しいと感じられるまでになっている。
その瞬間、背後の殺気が強まった。
(なるほど)
わかりやすい。
「いっそ今からでも弁護士になって俺をぶち込んでくれないか?」
半分は冗談に仕立てた本音。
半分は別方向に向けた探り。
背後の空気が鋭く変わる。
来る。
「おい、日車寛見!」
声に熱がある。
抑えているつもりなのだろうが、隠せていない。
振り返ると、予想通りの顔。
おおきな焦りと僅かな不安とちらつく独占欲。
それを覆い隠すための怒り。
(未整理だな)
面白い。
名前呼びを咎める。
敬称を要求する
距離を咎める。
全てを理屈で返すと、言葉に詰まる。
大切なものにほど感情が先に立つ男だ。
だが、嫌いではない。