第10章 最後の灯火
八重は時が経つにつれて脹相の中の悲しみが落ち着いていくのを感じた。
その代わりに心を占めるのは虚空の中に凪いだ怒り。
きっと敵を討つことだけを考えているのだろう。
脹相は立ち上がった。
八重の方は見ない。
そして、夏油傑に狙われていること、10月31日は渋谷に近づかないことを告げて背中を向けた。
その間、一度も八重の目を見ることはなかった。
もう会わないつもりなのかもしれない。
死んでもいいと思ってる。
八重にそれを止めることはできない。
それが彼の選択であるなら、なおのこと。
ただ願ってしまう。
「…死なないで」
想いが口から出たかもしれない。
彼には届いていないかもしれない。
それでも、八重は願わずにはいられなかった。
脹相が去ってから、八重は彼に言われたことを考えていた。
『夏油傑』という人物に思い当たることはない。
九相図を高専から奪取して、何をさせようというのか。
受肉したばかりの壊相と血塗を死んでしまうような〝お遣い〟に出すような男だ、信用できる者のはずはない。
――九相図の存在を知る
――八百比丘尼に執着をする
自らの思考が帰結する前に八重は戦慄した。
(夏油傑は…加茂憲倫の縁者…?)
途端に思い出される150年前の加茂憲倫との対峙。
人を嘲るように観察する目。
心拍が早まり、呼吸が浅くなろうとする。
そんなはずはない、と心は必死に否定したがっている。
目をきつく瞑り、胸に強く拳を当てる。
意識して呼気を長くする。
慄く心と身体が落ち着いてくる。
夏油傑が加茂憲倫の縁者だろうと構わない。
誰だろうと変わらない。
九相図を守ると150年前にあの子らの母に誓った。
(あの人は死なせない――私の、最後の灯火なのだから)
150年前と同じ光が八重の胸奥に再び宿った。