第3章 怖いものなし
小枯の里、三ツ山の経巡にも温泉はある。あるが規模は小さく、里人が疲れを癒やす為浸かる寄り合い場程度のものだという。
だから小枯は初めての大きな浴場が物珍しく、嬉しかったらしい。
夕飯前に二度湯に浸かり、夕飯後に三度。そしてそろそろ日付けが変わろうかという刻限の今、六度目の湯浴みに行っている。
ご察しの通り、ほぼ泊まり部屋にいない。
鬼鮫はひとり、鮫肌の手入れをしていた。
何をしに来たのかよくわからない気がするが、小枯が喜んでいるならそれでまあ構わない。が、面白いかと言われれば正直面白くは、ない。
と、思ったところでバタバタと廊下を走る音がして、小枯が凄い勢いで部屋に駆け込んで来た。
ぴしゃりと後ろ手に障子戸を閉め、飛び込むように鬼鮫の横に座り込む。
濡れたまま無造作に括られた髪から、松の葉と杉が匂う。疼く。
鬼鮫はちょっと身を引いて小枯を見下ろした。
「何事です?どうしました?」
「出た!!」
小枯の日に焼けた肌が湯に仄赤く上気している。が、唇は青く、体が震えている。
「出た?何が?」
「化けだよ!!」
「…化け?化けって…幽ぅ…ぐ」
「言うな!」
びたんと小枯の掌で口を塞がれた鬼鮫は眉を顰めた。小枯の掌を剥がして握り、ちらりと障子戸の方を見遣る。
ほんの僅か、障子戸の隙間から漂う不穏な雰囲気がある。
「何を連れて来たんで…」
空いている手でまたびたんと鬼鮫の口を塞ぎ、小枯が首を振った。
「つ、連れ…つつ連れてなんか、来てない!」
また小枯の手を剥がし、握り、結果両手を繋ぎ合う格好になりながら鬼鮫が小枯を見下ろした。
「あなた幽的が怖いんですか?意外ですねえ…」
「怖くないッ!…ひ…ッ」
障子戸がカタン、と鳴った。
開くでもなく、ただカタンと。
「かッ、かかか帰る!」
立ち上がりかけた小枯が鬼鮫に両の手を引かれてすとんと座り込む。
「落ち着きなさい。ちょっと見て来ますから…」
そう言って鬼鮫が立ち上がれば小枯も立ち上がる。
「何を見て来るって言うんだ⁉何にも見るものなんかないぞ!」
「まあ確かに見えはしないかも知れないですけどね。ものがものだけに」
「いんだよそれで!見えたら怖いだろ⁉」
「見えないでも怖いようですがね、あなたは」
ふっと風が吹き込んできたような怖気が走って、障子戸がまたカタンと鳴った。
