第4章 例えるならば
例えば雨上がりの夏の昼日中。
雨水に洗い晒され色濃い山の植生と、土と草木のふんだんに匂い立つ空気。塵を落として一段深く広くなった空の蒼み。
万丈に聳える杉の、力強く根付く松の、その高らかに清い香りと誇らかな千歳緑。
「あんな寝方をしてよく髪が縺れないものですねぇ。ああ、だからあなたは香油を使うんですか」
…何か違うな。
括り髪を引いて皮肉を言う鬼鮫を見て、小枯は内心首を振る。
いやでも、正真思うのなら間違いはない。
思わないものは出て来ない。作為がないのならそこに間違いはない。
正直に思ったことならば、それを否定するものはない。
つまり、今小枯の長い髪を掴んで何の気なしに引っ張りながら、小枯の夕べの寝相について楽しそうに苦言を呈しているこの大男は、最大限の讃辞を以て小枯に受け入れられている突拍子もない相手ということになる。
「…そんなに素晴らしかったか、お前」
「は?」
唐突に突っ込まれて、件の大男、鬼鮫が目を眇めた。
長い括り髪の中程を握り、感触を確かめるように髪先まで手を滑らせてはまた中程を握り直す。
…髪を弄るのが好きらしい。
そんなに好きなら自分の髪を伸ばせばいいだろうに、変わっている。
「何が素晴らしいんです?」
「雨上がりの夏の山」
「ああ」
鬼鮫は掌にのせた小枯の髪を眺めながら、軽く頷いた。
「熱苦しいですよね。素晴らしく」
「おお。成る程。素晴らしい。素晴らしい自己認識だ。鬼鮫、お前、わかってるじゃないか」
「…自己認識?あなた何の話をしてるんです?」
「お前の話だよ」
「雨上がりの夏の山が?」
「夏…に限らないか。冬の山でも構わないな」
凍みた沢沿いの水とも氷ともつかないキンとした冷気の、微かだが確かな透けた匂い。その水辺に宿る常緑の植生の鮮やかに強い濡れた濃緑。
雪を菰に白く佇みながら命脈を刻む深く高い木立。眠りながら春を待つしぶとく尊い下生えの、温かな息吹。
「…言い過ぎだ」
「…さっきから何なんですか、あなたは」
「どうも私は何かを表すことが得手でない」
「つまり?」
「お前は何なんだろうなと思って」
「あなた人があなたの寝相の話をしてる横で、全く違うことを考えてたんですか」
「お前に寝相のことでいじられるのは飽きた。毎日文句ばかり言いやがってコノヤロウ」