第69章 抱擁
「すまない・・・先生は調子が悪いみたいだ・・・」
なんとかそれだけを言うと、数学係の学生に『自習』と伝え、教室を後にした。
教室から出ると幾分楽になる。昇降口で2度3度、深呼吸をした。
今日は、早退させてもらおう・・・いや、それしかない・・・
そう思っていた。
「センセ?」
呼ばれて振り向くと、そこにはいたずらっぽい笑みを浮かべている咲希がいた。手を後ろで組んで、私の顔を覗き込むようにしてくる。
まだ、授業中だ。周囲に人はいなかった。
かろうじて手すりにしがみつき立っている私を、しげしげと見つめる咲希の目が、すっと細くなった。
「センセ、苦しそう・・・。
ね?言ったでしょ・・・ほら、早く私のことを捕まえないと・・・
とんでもないことになっちゃうよ?」
ふふふ・・・
それだけ言うと、咲希は踵を返して教室の方に戻っていった。
ガクン、と足から力が抜け、私はしばらくその場から動くことができなくなっていた。
☆☆☆
私の異変は明らかに『モルフェ』のカードを使ったせいだった。そして、このカードのことを咲希はなぜか知っているようだった。
本来なら、こんなカード破り捨てるべきなのだが、そういうわけにはいかなくなった。
このままだと、夢の中の咲希が言ったように、現実の私が破滅してしまう。
私の異変は明らかに夢の中の咲希がかけた『魔法』のせいだ。
「咲希を・・・探さなければ・・・」
手がかりはそれしかないのだ。
夢の中で咲希が言っていたとおり、彼女を見つけて、この『魔法』を解いてもらう必要がある。
私は、家に帰ると『調子が悪いから』とだけ妻に告げ、再びモルフェのカードがもたらす夢、淫らな夢へと堕ちていった。
夢の中の場面は、いつも異なっていた。
あるときは学校だったが、別のときは通勤の電車の中だった。
私が住んでいる家の近所であることもあったし、場合によっては部活の試合で訪れた市民体育館であることもあった。
どの夢であっても咲希がいることは間違いなかった。
理屈ではない。感じるのだ。
その感覚を頼りに私は彼女を探そうとするが、それは決してうまくいくことはなかった。なぜなら、私にかけられた『魔法』は、夢の中ではその力を増してしまっていたからだった。