第9章 現世に帰ることになりました
黒い制服、赤い瞳、そして、あの不器用な言葉。
「……アゼル」
彼女は呟きながら、ベッドの脇に置かれた吸い飲みから、ゆっくりと水を飲んだ。現世の感触が、少しずつ指先に戻ってくる。
「……生きてる……」
アゼルのことを考えると複雑な、心境だった。
所々仁菜の体は複雑骨折をしており、起き上がるのも難儀な状態だった。
事故の状況はよくなく、右直事故だったため、過失割合が、仁菜の方が重く、保険金はあまり期待出来ない状況で、その事で母親は嫌悪の表情を隠さなかった。
母と、弟妹のお見舞いは気が重く、仁菜は早く退院して、家に戻りたかった。
3ヶ月ほど、入院をしながらリハビリをすると、杖は手放せないが、退院の目処がついて、ホッとした。
時々思い出す、黒い髪と赤い瞳の不器用な人……アゼル。
仁菜はアゼルを、想いながら、退院までの日々を過ごしていた。
退院の日、仁菜は持ってきて貰った服に袖を通し、街の風を感じながら歩き出した。日常は変わらず流れていたが、彼女の中には確かな予感があった。
「いつかまた会える。きっと、あの人が迎えに来てくれる」
その夜、仁菜はベランダに立ち、夜空を見上げた。星の瞬きの中、風がふわりと吹き抜ける。
そして——一枚の黒い羽が、風に乗って舞い降りた。
仁菜はそれをそっと手に取り、胸元に抱きしめる。
それは、遠い世界からの静かな合図。
再会の予感を秘めた、ひとひらの羽。