第23章 芦原の確信
年明け初となる塔矢名人主催の研究会は、穏やかな空気の中で行われている。正月気分はだいぶ抜けたが、年末年始をどう過ごしたかなど、軽い雑談とともに対局が進んでいる。いつもは厳かな雰囲気をまとう塔矢名人も、ずいぶんと明るく饒舌だ。
「塔矢先生は、どこか行かれたんですか?」」
「夫婦でゴッホ展に行ってきたよ」
芦原の質問に塔矢名人がにこやかに答える。
「へえ、ゴッホって人気なんですね。 緒方さんもゴッホ展でデートしてましたもんね」
「ただの知り合いだ」
芦原が茶化すように言ってみると、緒方はそっけなく答える。
「いやいや、男と行ったんなら普通そう言うでしょ? その言い方は、女の人と行ったってことでしょ?」
芦原はとニヤリと笑う。内心で、緒方さんは本当に嘘がヘタだなぁ…と兄弟子に対して少しだけ呆れもする。そして、その相手が星歌だろうということに切なさが募る。
緒方は耳を少し赤くして、ズレを直すようにメガネを動かしてから言う。
「うるさい」
静かだが強い口調であった。
「芦原くんのその鋭さが、今年は碁に生かせることを期待しているよ」
「わわ!頑張ります!」
塔矢名人の柔らかな物言いに芦原は笑顔で返すが、やっぱり緒方さん、星歌ちゃんと…と、複雑な気持ちを抱いている。
緒方は、オレは棋士だ…こんなことで動揺するな…と自分に言い聞かせる。それと同時に、ゴッホ展での出来事が頭に浮かぶ。あの日の別れ際、目があった数秒間、あのときの志水くんはオレと同じ気持ちだったんじゃないか…?オレとあの子はきっと…。そう考えていると、棋院での白川の「お前…そんなにあの子が好きなのか?」の言葉も思いだす。あのとき、別の棋士が来てそのまま会話が途切れたが、もし途切れなかったらオレは、何て答えたんだろうな…。この気持ち、正直に言えたのか…?和やかな雰囲気とは裏腹に、緒方の心は大きくざわついていた。