第1章 運命の出会い
桑原は囲碁界の重鎮である。身体的な衰えは隠しきれないが、本因坊のタイトルだけは若手にも譲らないと意気込み、長年の防衛を果たしているベテラン棋士だ。
桑原は店内をぐるりと見渡してから、星歌に視線を止めた。
「ほほう、新人か?これはこれは、ずいぶんと若い娘じゃの」
「いらっしゃいませ」
星歌は変わらぬ笑顔で迎えるが、緒方はわずかな警戒心を抱き、立ち上がるのをためらっていた。
桑原は星歌の姿を上から下まで舐めるようにじっと眺めて、口元にうっすらと笑みを浮かべている。…コイツも若い子に鼻の下伸ばしているのか?ジジイ…と緒方は内心で毒づく。
桑原はそんな心を見透かすかのように、緒方を一瞬ジロリと見てから口を開いた。
「赤い糸じゃの」
「赤い糸って…運命の赤い糸のことですか?」
「ああ、運命の赤い糸が見えるようじゃな。ワシのシックスセンスを知っておるか?」
「棋士の先生方は第六感も冴えているのだろうと存じております」
若い子に対してジジイとの赤い糸って、泣かれてもおかしくないぞ…。せっかく入った新人バイトをやめさせる気か…?と緒方は再び心の中で毒づく。一方で星歌については、年寄りのたわ言にも上手く返すものだなと感心していた。
「ひゃっひゃっひゃっ!」
桑原は豪快に笑い、緒方の隣にドカリと腰を下ろした。
「若い者はいいのう、のぉ、緒方くん」
意味ありげに視線を向ける桑原に緒方は答えず、ジャケットを手に席を立った。
「失礼します」
感情を出さぬ声で言い放ち、桑原に背を向けた。
緒方がガラス扉を開けて店を出る際には背後で桑原の笑い声が響き、星歌の「ありがとうございました」の声が続いた。カフェの喧騒は扉の向こうに遠ざかり、星歌の姿と桑原の言葉が、緒方の頭の片隅にかすかに残っていた。