第5章 芦原の登場
緒方は毎週、師匠の塔矢行洋名人が主催する研究会に参加している。尊敬する師匠の意見を直接聞くことができ、緒方を含めた弟子たちにとって、とても有意義なひとときである。今夜も塔矢家の和室には門下生一同が揃い、活発な意見の交換が行われていた。検討が一段落して休憩時間に入ると、弟弟子である芦原弘幸四段が緒方に話しかけてきた。
「緒方さん、棋院のカフェにかわいい女の子のバイトが入ったって聞いたんですけど、本当ですか? だったらオレも通っちゃおうかな〜、なんて思ってて」
芦原の声には若々しい好奇心が滲んでいた。
緒方はタバコを吸いながら星歌のことを思い浮かべる。高校生らしからぬ有能な仕事ぶりや日本文学についての情熱、幽玄の間での笑顔、髪を切ったことへの詮索へのイライラなど、さまざまな星歌の姿が頭をよぎる。思わず笑みがこぼれそうになるが、平静を装って答える。
「特別に美少女ってわけではないが、まァ、いい子だとは思うぞ」
「気になるなぁ! 緒方さん、紹介してくださいよ! 今度一緒に行きましょう!」
乗り気な芦原に緒方の胸が小さくざわつく。彼女はただのバイトだろ?なんで芦原が騒ぐと、こんな気分になるんだ? 年配棋士たちの言動には呆れだけだったのに、芦原の若さと軽いノリに対しては苛立ちが混じることに緒方は気づく。だが、その理由までは分からなかった。
「…そのうちな」
緒方は感情を出さぬよう短く返し、タバコの火を消した。
「絶対ですよ?期待してますからね!オレのこと、優秀な弟弟子だ〜みたいに、いい感じに話してくださいよ?」
芦原が念押しをしていると、塔矢名人のひと声で研究会が再開する。緒方の視線は碁盤に戻り、一手一手に神経を研ぎ澄ますが、頭の片隅には星歌の明るい笑顔が残っていた。