第1章 死にたがりに口づけを
「…天使?」
白い翼、頭上に光輪を持つ美しい少年の姿を見て、女は驚いたように目を見張った。
女の目に映る美しい少年——天使の悪魔は、どこか不機嫌そうに彼女に視線を向ける。女を見やり、歳の頃二十代前半といったところか、と見当をつける。つけたところで特に意味はないが。
お気に入りの場所で景色を眺めようとしただけなのに、邪魔な存在がいることに、天使の悪魔は苛立ちを隠しきれなかった。
屋上のフェンスを越えた先で、風が吹けば折れてしまいそうな細い枝のように、女は今にも倒れそうなほどか細い足で立っている。
これから死のうとしている人間を、わざわざ止める気はない。
自分でその結論に至ったのなら、勝手にそうすればいい。
それに、止めようとすれば、触れたものの寿命を吸い取る能力で、結果的に自殺に加担することになる。
そう考え、天使の悪魔はその女をただ見守ることにした。
しかし、女は天使の悪魔の姿に視線を固定したまま動こうとしない。
「…飛び降りないの?」
そう問いかけても、女は答えなかった。
「いいなぁ。死ねたらさぞ楽だろうね」
鋭い双眸が、天使の悪魔をキッと睨みつける。
女には嘲りに聞こえたようだが、天使の悪魔にとっては本音でもあった。
すると、ふいに女はフェンスを跨いで戻り始めた。下着が見えるのもお構いなしに、スカートでガシャガシャとフェンスをよじ登っている。天使の悪魔は目のやり場に困り、近くの薄汚れた雑居ビルへと視線を逸らした。
「やめるの?」
「うん」
「どうして?」
女はぴょんとフェンスから下りて、屋内へと繋がるドアへ向かう。そして、振り向きざまに言い放った。
「なんか、余興で死ぬのって癪だから」
これが、天使の悪魔と民間人のとある女との出会いだった。