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黒の王と白の剣 幻想水滸伝Ⅱ 夢

第1章 滅びゆく村



春の風が、まだ冬の名残をわずかに抱いて吹いていた。
ハイランド南部――地図にも記されぬ、名もなき小さな村。
土は肥え、季節は穏やかで、鳥は囀り、風は優しい。
ここに暮らす人々は、戦を知らず、ただ静かに日々を積み重ねていた。

村の中心に、一軒だけ立派な屋敷があった。
交易で財を成した男と、その妻、そしてひとり娘――アルネリア。
父は誠実で、働き者であり、村人からの信頼も厚かった。
アルネリアは幼いころから父の商いに同行し、荷馬車の品を管理していた。
剣も弓も学んだのは、父を、そして積荷を守るためだった。
やがて彼女は護衛のように振る舞い、若く美しい娘でありながら、強さと誇りを併せ持つようになっていた。

穏やかな家族。誰もが羨む幸福な暮らし。
だが、その幸福の中で、ただ一人だけ心安らがぬ者がいた――母である。

母もまた、この村の出身だった。
だが彼女にとって、この村は「退屈な牢獄」だった。
都会の喧騒、香水と人混み、眩い光を夢見て生きてきた彼女にとって、
この静けさは、夢を押し殺す檻のように思えた。

交易で各地を巡る男――アルネリアの父に惹かれたのも、
いつか自分も村を出られると信じたからだ。
結婚すれば夢が叶うと疑わなかった。
だが現実は、あまりに残酷だった。

父は村の空気を愛し、静けさを選んだ。
アルネリアもまた、母ではなく父に似て、
都会の喧噪より、この村の風と緑を好んだ。

その日から、母は少しずつ変わっていった。
笑顔は優しいまま。だが、目の奥に宿る光は冷たく沈んでいった。
窓辺に立ち、何もない地平を見つめながら、
まるで心だけが遠い街に置き去りにされたかのように、いつも遠くを見ていた。

ある晩、アルネリアが寝静まった後。
母は暖炉の前でひとり、静かに呟いた。

「……あの人たちは、知らないのね。
 どんなに綺麗な飾りをつけても、ここは退屈の匂いしかしない。
 私は……こんな場所で朽ちるつもりはない。」

その声は、火の軋む音に溶け、誰の耳にも届かなかった。
ただ、瞳の奥で淡く光った冷たい炎だけが――静かに、確かに燃え始めていた。

小さな歪みは、やがて村全体を飲み込むほどの破滅へと変わっていく。
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