第1章 依依恋恋 一話
集中して資料を読み込んでいた凪が、不思議そうに顔を上げた。きょとんとした彼女の表情からは何かを取り繕っている訳でも、偽りを述べている訳でもない事が見て取れる。故に、兼続は瞼を伏せて緩く首を左右へ振るに留めた。その反応を前に、果たして何だったのだろうと首を捻った凪は、自身のデスクに座って資料へ本格的に目を通そうとする。
「凪、ちょっといいか」
「あ、豊臣部長、お疲れ様です」
ちょうどその時、凪達の上司である秀吉がやって来た。社長である信長の右腕として、そして編集部をまとめ上げる部長として日々多忙な身の上である秀吉はしかし、部下達からの信頼も厚く、その甘いルックスと人好きのする性格から、男女問わず社員や取引先にも人気が高いともっぱらの噂だ。彼の面倒見の良さは新入社員である凪にも当然向けられており、おそらく声をかけて来たのも彼女が初めて担当を受け持つ事となったからだろう。
「お前の受け持ちがあの光秀になるって話を信長様からお聞きした。もしあいつに意地悪されたら俺に言えよ?一発ぶん殴ってやるからな」
「え!?ぶん殴る……!?」
「豊臣部長と光秀殿は同じ大学で、旧知の仲だという話だ」
「……あ、そうなんですね……びっくりしたー……」
社が誇る今絶賛売り出し中の人気作家をぶん殴る発言されれば、誰だって目をひん剥くというものだ。二人が元々の顔見知りだという事実に胸を撫で下ろしつつ、凪が苦笑する。
「その、ご心配ありがとうございます、豊臣部長。でも、どちらかと言えば新人の私が先生に御迷惑をおかけする事が多いと思うので……足を引っ張らないよう頑張ります」
「……そうか。まあ原稿面ではあいつが他の作家陣よりだいぶ優秀だって事は認める。ただし、高頻度で放浪癖があるから、そこは注意しておけよ。あいつの行きそうな場所は俺が把握してるから、困ったら何でも相談するように。いいな」
「(放浪癖……)分かりました、お気遣いありがとうございます」