第90章 好き〜時透無一郎 冨岡義勇【R18】
翌朝、藤の花の香りが漂う部屋で、無一郎は身支度を整えて玄関へと向かった。
そこには美月が、一睡もできなかったのか青白い顔でうつむき立ち尽くしていた。
無一郎は美月と目を合わせることなく、ただ一言…
「帰るよ」
その声は、昨夜の美月の想いを拒絶するように聞こえた…。
無一郎は、足早に藤の花の宿を後にした。
一刻も早く、ゆきが待つ屋敷へ帰りたかった…。
一方、皆まだ寝静まっている義勇の屋敷では、まだ濃密な時間が止まったままだった。
ゆきは、義勇の逞しい腕の中にすっぽりと収まり、深い眠りについていた。
義勇は、腕の中で規則正しい寝息を立てるゆきを起こさぬよう、ただじっとその重みを感じていた。
わずかに触れ合う肌の熱、甘い香りが、義勇を安心させ癒していく…。
ゆきを離したくない
やがて、ゆきがまつ毛を震わせ、ゆっくりと瞳を開いた。
まだはっきりしない意識のなか、ゆきは自分を抱きしめる温もりに安らぎを感じ、それが誰であるかも確かめぬまま、愛おしそうに義勇の腕へと頬を寄せてしまった。
「…ん、もっと…ぎゅっと…」
甘く、とろけるような呟き。
その瞬間、義勇の心臓が踊り、ドクン、ドクンと激しい鼓動がゆきの耳にまで届くほどだった。
無表情な仮面の裏で、義勇はこのまま唇を奪い抱きたい衝動に駆られていた。
しかし、その義勇の鼓動の速さが、ゆきの意識を急激に現実へと引き戻してしまった。
「…え?」
見上げた先にあったのは、無一郎ではなく、義勇の切なげに歪んだ顔だった。
我に返ったゆきは、顔を真っ赤に染めて慌てて飛び起きた。
「ぎ、ぎゆ…さん…っ!?」
乱れた衣を合わせ、震える声で叫ぶゆき
「時透と、間違えたのか?」
少し残念そうな、切なげな表情で義勇は、ゆきをみつめた。
その時、廊下から慌ただしい隠の気配がした
「冨岡様おはようございます。早朝に、失礼いたきます。先ほど時透様の鎹鴉にて伝言賜りました。時透様は、只今屋敷に帰るため移動中とのことです。」
その言葉にゆきは、安堵した表情を浮かべ胸を撫で下ろした。