第86章 無一郎と美月の秘密【R18】
遠ざかる無一郎の背中と、腕に抱かれたゆきの姿を、義勇はただ呆然と見送るしかなかった。
滴り落ちる血の熱ささえ、今の義勇には遠い出来事のように感じられた。
無一郎に突きつけられた言葉は、義勇の核心を突いていた。
図星だ…。俺は、自分の迷いをお前にぶつけただけだ
昨日の手合わせ…。
それは「稽古」という名目で塗り固めた、義勇の醜い嫉妬の表れだった…。
無一郎の屋敷で過ごすゆきを想うたび、胸の奥で黒い感情が渦巻いた。
整理のつかない独占欲を冷静なふりをして、加減を失うほどゆきを追い詰めてしまった。
今朝も、ゆきの怪我が心配で玄関先をうろうろしていた。
ようやく現れたゆきを見た瞬間、本当は優しく抱きしめ、傷を撫で謝りたかった…なのに乱暴に扱ってしまった。
俺の我儘で、お前をどれだけ傷つければ気が済むんだ…
血の滲む腕よりも、何も言えず立ち尽くすしかない自分の不甲斐なさが情けない。
一方、ゆきを横抱きにした無一郎は、背中の痛みに響かないよう静かな足取りで竹林を抜けていた。
「…体、大丈夫? 響いてない?」
「うん…ありがとう、無一郎くん」
ゆきの控えめな返答に、無一郎はふっと表情を緩めた。
実のところ、無一郎の胸中にも複雑な思いがあった。
昨晩、怪我をした美月に「側にいてほしい」と言われ、いつの間にか隣で眠ってしまい、目覚めた時間違えて美月に口付けをしてしまった…
それをゆきに知られるのが怖く、美月に口止めをしていた。
今朝、ゆきが早々に席を立ったのは、その隠し事から生じた不自然な空気のせいだと気づいていた。
けれど、無一郎はその理由をあえて口には出さなかった。
今はただ、ゆきの心と体をこれ以上揺さぶりたくなかったから…。
「帰ったら、何か甘いものでも食べよう。君、今朝はあんまり食べてなかったから。お腹、空いてるでしょ?」
無一郎は一度だけゆきの顔を覗き込み、安心させるように微笑むと、キリッと前を見据えた。
義勇が与えた体の傷も、自分が招いてしまった気まずい不安も、すべて自分の手で癒してみせる。
そんな強い決意を秘め、無一郎はやっと自分の手の中に戻ってきた愛しいゆきを抱き直して、家路を急いだ。