第85章 霞柱邸〜時透無一郎【R強】
無一郎が美月を抱きかかえ、静かに部屋を後にしたその瞬間.布団に横たわっていたはずのゆきは、ゆっくりと、目を開いた。
実際には、ゆきは眠ってなどいなかった。
薬の影響で虚ろな意識の中で、二人のやり取りをすべて聞いていたのだ…。
無一郎が美月の肌に触れ、不器用ながらも懸命に手当をする気配…。
布が擦れる音、そして微かに漏れる美月の吐息…。
「私は…邪魔をしているよね。あの二人の…」
痛む体を引きずり、ゆきは力なく上体を起こした。
ぽつりと溢れ出した独り言は、誰もいない部屋に虚しく響いた。
無一郎が自分を大切に想ってくれているのは分かっている。
けれど、今の光景は、無一郎にとっての正解が自分ではないのではないか、という疑念を抱かせるには十分だった…。
一方、美月を部屋へ運び、寝床に横たえた無一郎は、すぐにその場を立ち去ろうとした。
しかし、離れようとした無一郎の首筋に、美月の腕が回される…。
「無一郎様…本当は、怖かったんです。無一郎様が帰られた後、下弦ほどの鬼が来て…心細くて…」
弱々しい美月の声…。
その瞳には、いつもの頼り甲斐がある継子の感じが一つもなかった…ただ一人のか弱い少女のように見えた。
自分を真っ直ぐに求め、信頼を寄せてくる美月の温もり…。
対して、ゆきはいつもどこか遠く、冨岡さんの背中を追っている…。
その対比が、無一郎の胸を揺さぶる。
早くゆきの元へ戻らなければならない。そう思うのに、震える美月を突き放すことができない。
「無一郎様…我儘を聞いてください。眠るまで、側にいて…お願い」
絡みつく腕の力は弱い…。
無一郎の心は、静かな部屋で独り耐えているはずの最愛のゆきと、目の前で涙を堪える献身的な美月の間で、激しく揺れ動いていた。
「…じゃ、じゃあ眠るまで…」
無一郎は、素っ気なく答えて首に絡められた腕を引き離し美月の布団の隣に座った。
「眠るまで…手握っててください…」
無一郎は、迷ったがそっぽ向いたまま手を差し出した。
美月はその手に頬を寄せ目を閉じた。
柔らかな美月の肌を掌に感じながら、不思議に鼓動が鳴り止まない自分の体に何かを感じながら無一郎は、美月の側にいた…。