第85章 霞柱邸〜時透無一郎【R強】
無一郎は、眠りについたゆきの寝顔を愛おしげに見つめた後、音を立てずに部屋を抜け出した。
胸のうちは、ゆきの体に残された義勇による痣への憤りと、痛みに耐えて自分を受け入れようとした彼女の健気さの二つで荒れていた…。
中庭に出ると、美月の姿があった。
事後処理班への引き継ぎを終えて戻った美月は、無一郎の姿を見ると、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「無一郎様?…いいのですか? お姫様のご機嫌を取らなくても」
刺のある言葉に、無一郎はイライラしながら歩み寄った。
「……事後処理班には、きちんと報告を済ませたの?」
ぶっきらぼうな声で問い返したが、ふと、月明かりに照らされた美月の右腕に目が止まる。
隊服の袖が大きく裂け、生々しい鮮血が滲んでいる…。
「あれ……? そんな怪我、してたっけ」
無一郎の問いに、美月は困ったように視線を落とした。
「無一郎様が帰られた後、下弦ほどの鬼が出没いたしまして。不覚にも傷を負いました…」
先ほどまでの嫌味な態度はなくなり、疲労の色を滲ませる美月の姿に、無一郎は微かな罪悪感を覚えた…。
自分が先に戦線を離脱したせいで、美月に負担を強いたのではないかと…。
「…隠を呼ぶよ。手当てをさせないと」
無一郎が隠を呼びつけようと背を向けた、その時だった。
「…っ、待ってください」
美月の細い指先が、無一郎の口元を優しく、塞いだ。
驚きに目を見開く無一郎の至近距離で、美月は静かに首を振る。
「夜更けに隠を起こすのは可哀想です…。これくらい、自分で手当てできますから」
月に照らされ、凛としていながらもどこか儚げな強さを見せる美月…。
いつも側で、僕に一途に愛を向けてくれる人…僕が振り向かないと分かりながらも…
「……」
無一郎の心臓が、予期せぬ早さで疼く。
ゆきへの一途な愛とは全く質の異なる…危うく、そして拒めない動揺が、無一郎の胸中を静かに占領していった…。
無一郎は、とっさに美月の肩を抱いて屋敷の中へ向かった。
「無一郎様?どうしたんですか?」
「僕の部屋においで、手当は僕がするから…」
「け、結構です!それに…ゆきさんの眠る部屋になんて行きなくないです。」