第2章 昇陽を待つ
無礼。不敬。不遜。
現状を言い表す言葉は様々あれど、何にせよこの行為は一介の臣下が受けるべきものではない。元就様程の方が、何故。制止の言葉を聞き入れられる御様子は無く、次の言葉を見失い閉口する。
――ぽたり、と元就様の手から雫が滴った。
「其方の働き、実に見事であった。力持つ者を始末し、その混乱に乗じ一族を排除いたすは常道。其方の講じた術に誤謬無きは明白」
感情の色薄い硬質な声音が、今は何よりも柔く、そして何故か孤愁を帯びて聞こえた。
行燈の光のみが照らす空間の中、此方へと伸びる手は逃れる事を許さない。元就様はそれ以上言葉を発することなく、水を吸った手巾が傷跡をなぞる。風の音さえ無い夜深く、互いの息遣いが耳朶を擽り、堪らず目を瞑った。
暫くして、元就様の気配が遠のき、下ろしていた瞼を開く。視線を遣った先には、薬籠を持つ主の姿。制止は最早意味を成さないと分かった今、黙したまま次なる行いを待つ。
「動くでない」
陽の光の下、冷徹に采配を振るう元就様の指が、今は膏薬を手に取り私の頬へと伸びる。布越しではない感触に柄にもなく背が震えた。
元就様は、誰もが氷の様だと表する御方。それでも、私に触れたその指は、日輪の様に確かな熱を持っている。心地好いとも悪いとも言えぬそれは、ただ沈み、溺れ、身を委ねてしまいたくなる程に私を侵す。今少しだけ。そう己に言い聞かせ、この熱をより享受せんと、何にも気付かれないよう頬を擦り寄せた。
「目を開けよ。明日にも痕は消えよう」
「私の様な者の為に御手を煩わせてしまい、何と御礼申し上げれば良いか……」
療治を終えた元就様が私から離れ、治療具を取り片付ける。熱に浮かされた夢とも思しき時は去り、外れかけていた従者の面を被った。
「功を立てた者に禄を増すと同じ事。此度の事、毛利の為によく働いてくれた」
毛利の為。その御言葉は、とうに忘れた筈の痛みを呼び起こす。
違う。私は、本当は毛利の為等ではなく、ただ貴方様の――。
自らの心を偽りお仕えする事への罪咎を、元就様へ悟られぬよう嚥下する。この情が溢れてしまえば、きっと私は貴方様の駒でいられない。取り繕った面はいつか破滅を招くとしても、今はただ、上辺を照らす光の温かさに甘んじていたい。
「……有り難き御言葉に御座います」
「ではもうよい。下がれ」
