第8章 『 距離 』
――これで、いい。
これで良かったんだと部屋でひとり、胸の奥に残るざらつきを、そう言い聞かせることで押し込めていた。
誰かを想う気持ちは、きっと弱さになる。
ここは戦場の延長にある場所で、守るべきは感情じゃない。
本丸。
刀剣男士たち。
そして、折れかけた未来。
(……私は、審神者でいなきゃ)
あの夜、鶴丸に伝えた言葉は嘘じゃない。
でも、返事を求めなかったのも、本心だった。
優しくされた経験がなかったから、それを“特別”と勘違いしただけかもしれない。
そう思えば、この気持ちは、しまっておくべきものだ。
筆を取り、報告書に目を落とした。
文字を追うたび、心が静かになっていく。
――これでいい。
これで良かったんだ、なんて。
目を通した書類へ判子を押しながら、私は何度も心の中でそう繰り返した。
一方で。
鶴丸国永もまた、自分に言い聞かせていた。
(……主の邪魔は、しない)
審神者は、この本丸を立て直した。
折れた刀を、命の縁に引き戻した。
政府の監視下に置かれてなお、前に進き続けている。
そんな主の足を、自分の感情で止めるわけにはいかない。
(刀が、人を想うなんてな)
自嘲気味に笑い、その思いを、心のさらに奥へ押し込める。
触れれば壊れそうな場所に、鍵を掛けて。
「……驚かせ役に戻るか」
軽口は、誰にも悟られないための仮面だ。
その変化に、周囲が気づかないはずはなかった。
鶯丸は、縁側で茶を啜りながら、ふたりの距離を静かに眺めている。
一期一振は、大広間での空気の変化を、言葉にせず飲み込んだ。
三日月宗近は、笑みを崩さぬまま、「ほう」とだけ呟く。
誰も、何も言わない。
言えば、壊れてしまいそうだと知っているから。