第10章 『 主と刀である前に 』
「……もう夜も遅い」
鶴丸はそう言って、そっと手首から手を離そうとした。
「今日はここまでだ。ゆっくり寝てくれ、主」
指先が離れる、その直前。
きゅ、と。
今度は審神者のほうから、鶴丸の指を掴んだ。
「……待って」
かすれた声。
鶴丸が驚いたように目を見開く。
「離さないで、とは言わないですけど……今、これで終わるの、ずるくないですか」
涙はもう止まっていた。
その代わり、どこか覚悟を決めたような、静かな目をしている。
鶴丸は一瞬、言葉を失ってから、小さく息を吐いた。
「……はぁ」
困ったように、でもどこか諦めたように笑う。
「主、それ以上引き留めるとだな」
一歩、距離を詰める。
声が低くなる。
「俺、送り狼になるぞ」
冗談めかしているのに雰囲気だけはまったく冗談じゃない。
月明かりの下、近すぎる距離。
いつもの鶴丸の軽さはなく大人の男としての空気が、はっきりと伝わってくる。
審神者は一瞬だけ息を呑んでからそれでも目を逸らさず、静かに言った。
「……鶴丸さんだったら」
ほんの少し、間を置いて。
「……いいですよ」
その瞬間。
鶴丸の目が、完全に獣の色になる。
「……主」
掴まれた手が、今度は逃げ場なく包み込まれる。
「その台詞、軽い気持ちで言うもんじゃないな」
額と額が触れるほど近くで、低く囁く。
「俺は刀だ。主を傷つけない自信はあるが……自制できる保証は、ない」
審神者の心臓の音が、やけに大きく響く。
それでも鶴丸は、ぎりぎりのところで動かない。
「……今夜は、ここまでだ」
そう言って、名残惜しそうに手を離す。
「これ以上進んだら、冗談じゃ済まなくなる」
月明かりの中でほんの一瞬だけ、鶴丸の指が審神者の頬に触れてから、すぐ離れた。
「おやすみ、主」
その声は今までで一番優しくて一番危うかった。