第2章 ver.一ノ瀬トキヤ 8/6
また、嬉しそうに笑ってくれた。ファンのみんなへの笑顔や、アイドルとしてグループを引っ張っていこうとする彼の姿は何度も見ているが、今この笑顔は、私が発した言葉でなってくれたものなのだ。
こんなにファン冥利に尽きることは無い。
ちょっと泣きそうかもしれない。
「歌が好き....はい、そうでした。どんな歌でも、好きという気持ちを、忘れてはいけませんね。上手く歌うこと、上手くする事に、また囚われてしまっていたかもしれません。ありがとうございます」
「う、上手いのはもちろんですけど!一ノ瀬さんの歌声は、気持ちが籠ってるっていうか、なんか、胸に響くっていうか!ほんとに、上手とは別の、何かを貰えるんです...!」
「ありがとうございます」
穏やかに笑う彼の顔を、独り占めしてしまっている。
胸が熱くなって、やっぱり好きだなぁと思う。
「では、キミも歌うことは好きなのでしょうか」
「へ?ま、まぁ好きっちゃ、好きですが....」
「良かったらご一緒しませんか?」
な ん で す と ?
そう言って、部屋の片隅にある、ピアノに向かう彼。
ポロン、と流れるその曲は、知っている。
彼が最初に出した曲。
え、え、え?弾くの?トキヤが?歌うの?私と?
「むむむむむ無理ですとても人様に聞かせられるようなものではございません!!!」
「おや、気持ちが籠って入れば、胸に響くのでしょう?」
それとも、私とではご不満でしょうか?
滅相もない。
ちょっと意地悪そうな彼に、顔が赤くなる。そういや彼も頑固な人だった。
首を横に振れば、では、とピアノが伴奏を始める。
ちょっと女の子には低すぎるけど、優しい歌声が、綺麗な旋律が、耳に届いて、彼の歌声に惹き込まれる。
ちらりと、目配せされる。
歌えってことか、と、恐る恐る、声を出せば、その声は音程も何もあったもんじゃないけれど、彼は嬉しそうに、そのまま歌い続ける。
とても、彼の歌声には届かないけれど、声が重なって、綺麗な宝石みたいな瞬間を感じる。
なんて贅沢な時間なんだ。
ピアノの音が止まる。思わず彼と目が合って、拍手を送る。
彼も拍手で返してくれて、楽しかったですね。と言ってくれた。