第7章 欠けゆく月と君の隣で
「じゃあ今日は、幸せをもっと怖がらせてあげよう」
「何その言い方……」
香織は思わず笑って、太宰のコートの袖をきゅっと摘まんだ。
香織の部屋に着くと、太宰は当たり前のように靴を脱いで上がり込んだ。
香織が呆れた顔で振り返ると、太宰は無言でコートを脱いでソファに投げ、香織の手を引いてリビングの小さな明かりをつけた。
「待って、靴下脱いでから……」
「後でいい」
ソファに座った太宰は、立ったままの香織の手首を引いて、自分の膝に座らせる。
香織は思わずバランスを崩し、太宰の胸に小さく倒れ込んだ。
「わっ!」
「やっと二人きりだ」
低い声で笑いながら、太宰の指がそっと香織の髪を梳く。
「……私、お茶淹れるから」
逃げるように立ち上がろうとした香織の腰を、太宰が強く引き寄せて、背中に腕を回した。
「いいから」
「や……太宰君、くすぐったい」
抗議の声も、すぐに太宰の唇で塞がれた。
触れるだけの短い口づけが、少し深くなる。
香織の指先が太宰の胸元をぎゅっと掴んで、目を閉じた。
息を離すと、香織の睫毛が小さく震える。
「……ねえ、幸せを怖がってたんじゃないの?」
太宰が囁くと、香織は太宰の胸に額を押し付けて、小さく笑った。
「……もう、怖くない」
「そう」
太宰の指が頬に触れて、そっと親指で涙の粒を拭った。
「じゃあ−−−怖がらなくていい」
香織の肩に頬を寄せる太宰の声は、いつもより少しだけ甘くて、少しだけ震えていた。
静かな部屋に、二人の吐息だけが小さく響く。
香織は小さな声で呟いた。
「……ねぇ、太宰君」
「ん?」
「……ずっと、そばにいてね」
「言われなくても」
優しい返事に、香織はそっと笑った。
腕の中で香織の肩を抱きしめる太宰の瞳は、いつになく穏やかで、どこか誓うように柔らかかった。
香織は太宰のシャツの裾を握り、小さく声を零す。
「……ありがとう」
夜の静けさが、二人の小さな呼吸を包んでいった。