第5章 好きか依存か
『……私、太宰君に置いていかれるのだけは嫌だから』
居酒屋で漏れた自分の声が、今になって胸に刺さる。
沸々と湧き上がる感情。
置いていかれたくない。
何もいらないから、せめて自分だけは、と願ってしまう自分がいる。
それが恋じゃなくて何だというのか。
それでも香織の心は、まだそれを恋と信じ切るには、あまりにも未熟で脆かった。
小さく息を吐いて、香織は薄暗い部屋の天井を見つめた。
窓の外では夜の街灯が、静かに自分を照らしている。
「……太宰君」
呼んだ声は誰にも届かない。
それでも、たった一人の誰かにだけ届いてほしくて、言葉が零れた。
香織は自室の窓を開けて、湿った夜気を胸いっぱいに吸い込んだ。
梅雨明け前の夜風はぬるくて、どこか重たいはずなのに、息を吐くたびに胸の奥の苦しさは少しも軽くならなかった。
「……怖いな」
ぽつりと、声に出して言ってみると、自分の声がひどく頼りなく聞こえた。
太宰の全部が今の自分にとっては眩しすぎて、苦しかった。
香織は窓辺に座り込み、膝を抱えた。
額を膝に埋めると、閉じた瞼の裏に浮かぶのは、やっぱり太宰だった。
(もし、私が太宰君に好きだって言ったら‥‥)
もし、あの気まぐれな瞳に自分の弱さを晒してしまったら。
「……全部、壊れちゃうのかな」
声が震えて、膝に落ちる息が熱を帯びる。
冗談みたいに笑って、何でもない顔で側にいてくれた。
それだけで良かったのに。
それだけじゃ、もう足りないって思ってしまったのは、自分のせいだ。
(私にとって、太宰君は友人で同僚‥‥それ以上を求めるだなんても随分と欲張りになったなぁ)
もし伝えてしまえば、太宰はきっと困った顔をするだろう。
太宰のことだ。
冗談みたいに受け流すかもしれない。
もしかしたら優しい嘘で、いつも通りを装ってくれるかもしれない。
でも、その『いつも通り』はもう戻ってこない。
そうなれば、太宰の隣に立つ資格すら、自分で手放してしまう。