第3章 青の時代 〜忘れられないあの日の思い出 𝓟𝓪𝓻𝓽2〜
「はぁっ!」
冷たい空気の中に、美鈴の息が白く弾けた。
細い腕を振り抜くたびに掌に残る痛みがじんと響く。
「甘いな、拳に力を入れろ」
中也の声が背後から飛んだ。
手首を掴まれて、無造作に引き戻される。
「力を入れたまま肩の力は抜け、そして腰を落とせ」
中也の手が腰骨に触れて、美鈴の姿勢を直す。
そのたびに息が止まりそうになるのを、何度も喉の奥で飲み込んだ。
「はい!」
思わず零れた声は、小さく震えているのが自分でも分かる。
けれど、もう途中で逃げるつもりはなかった。
あれから早くも一年が経った。
『羊』に入ったことを誰にも言わなかった。
親戚にも、学校にも、もちろん家族にも。
誰にも話さずに、何も気づかれないように笑いながら、夜になると制服の下に隠したままの自分を連れて港へ向かった。
誰にも言えない秘密。
でも、これが私の居場所だった。
桜の異能も、血筋も、妹と比べられる声も、ここでは誰も気にしない。
ただ殴るか、殴られるか。
役に立つか、立たないか。
それだけで十分だった。
そして−−−何よりも目の前で『ご主人』と呼んだその背中を追いかけられる。
それがあの日、夜の森で泣いていた私にとって、何よりの救いだった。