第7章 出会い(であい)
作者『風邪をひいており38.6℃の熱が続いていた為、更新出来ずにいました
済みませんでした!
皆さんも体調には気を付けて下さい』
テロップ『以上、お知らせでした
下から本編です』
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1月20日から2月11日まで…
つまり…
11足す11日
22日飲まず食わず
柱としての仕事も行いつつ
憔悴し切った状態で生き延びた
と
耀哉の日記に記されていた
あの日…
原初の神々の件について教えた日
そして…無惨を倒し損ねた日でもある
そのことが記されてないか調べている時に見つけた文面だ
どうやら…原初の神々の件に関しては記してはいないらしい
あいつのことだから恐らく、人の目の入らない場所にでも置いてあるのだろう
パタン
静かに本を閉じ、元の場所へ戻した
日の明かりが障子から射し込む中
恵土「…あまねには報せたのかな?」ぽつり
ふと生じた疑問に…要らぬ種になり兼ねないと頭を振った
この5年の内に…
色々と修練場を全て見廻り整えていた
実際に試して死なないよう、幾回も何度も試し…それがそのまま修練にもなるぐらいの濃密な練度を齎すものにまで仕上がった
それから2年程経った後…
耀哉とあまねの子が産まれた、五つ子で一人男児が居た
伯母(おば)になった
その一か月後…
悲鳴嶼行冥が岩柱になった
取り決めにより、柱を迎えるにあたって現柱は皆集められた
悲鳴嶼「南無阿弥陀仏…」
恵土「……(お坊さん?」
1907年2月の始め頃だろうか…
合掌したまま涙を流すそれに、困惑して固まっていた
その後日(十日後)…煉獄槇寿郎さんと一緒に任務へ赴くこととなった
が…その実態は恐ろしく歪で…
女ばかり生まれる一族が、屋敷に住みつく蛇鬼から与えられる「他人を殺して手に入れた金品」と引き換えに
自分達が生んだ赤ん坊を生贄、蛇鬼の食料として差し出していた
370年ぶりに産まれた男児であった小芭内は物心ついた頃から蛇鬼のお気に入りとして座敷牢に幽閉されていたが
12歳の時に座敷牢から脱走したことで、従姉妹を除く一族が八つ当たりという形で蛇鬼に皆殺しにされたのだという
槇寿郎が森に行き、私は屋敷へ向かって行った
駆け付けると既に死屍累々で…
生き残りは一人のみ、女の子供だけだった