第3章 刀鍛冶の里(かたなかじのさと)
戦国時代独自の製法がある
今在る刀(現代刀)は『固さ』に重きが置かれている
その為、折れやすく、割れやすく、欠けやすい
それでは長くは戦えない
長く斬り、戦うことに主点を置いていた、戦国時代の頃の刀が私には必要だった
『固さ』では無く、『柔らかさ』に重きを置かれていた頃の刀が
その為、刀鍛冶の里へ行く必要性が在った
十一月二十三日
恵土「……あのお;」
耀哉「ぐすん、ひっく」
お館様「済まないね
最後までごね続けて(まさか見送りの時までずっととは^^;」
苦笑をする中、なおも年相応に咽び泣きしゃっくりを上げ続けていた
ここまで耀哉が懐くのも初めてとも言われた
お館様に頭を撫でられる中、泣きながら「いっでらっじゃい」と声を詰まらせながら、両の目から零しながら、頑張って声を出していた
恵土「くす)いってきます」
優しく頭を撫でると、小さく頷かれた
目は瞑ったまま、鼻水まで垂れ出しそうな勢いで止まらないほど
滂沱の涙をずっと流し続けているそれに、別れが惜しくなっては困るからと背を向けて早々に立ち去った
耀哉「わあああああああああああああああああああああああ;;;」
その後…三日三晩に渡って泣き続けたという;
その三日三晩の後は、恵土と再会する瞬間だった……
元来であれば半月(15日)後に貰えるのだというだが
無理を言って寄せてもらうこととなった
刀鍛冶に力を貸してもらい、戦国時代における製法を伝えた
父上の親友が刀鍛冶の中でも上の上の腕前であったこともあり、接点もあったことから口伝で教え聞いたものをそのままに伝えた
そして造り方、研ぎ方を実践させてもらい、上々だとも言われた
後は自分で手入れしろと言われた
刀の手入れもまた、武士の勤めだという教えもあってのことだった
その後…
最終選別で貰った玉鋼と共に、日輪刀を溶かし直し
戦国時代独自の精製法で、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石の玉鋼を創り直した
純度は50倍以上にまで達しているらしく、測定出来ないほどの業物と言われた
そうして刀を打つ行為に入り、刀鍛冶の里の皆に手伝ってもらい、出来上がったのが…‥
脇差だった
その色は眩(まばゆ)く、眩(まぶ)しく、辺り一帯を照らす程に強烈なものとなっていた
陽光(ようこう)色…そう新種の色に名を付けられた
