第2章 初めての合奏
楽譜の紙は、思ったよりも重たかった。五線譜の上を並ぶ黒い点たちが、まるで自分を試しているように見える。休符の場所、スラーの向き、音の高さ――どれを取っても完璧には読めなかった。それでも、奏は今日を楽しみにしていた。吹奏楽部として、初めて全体で合わせる日。「基礎合奏」という名前のその時間に、どこか心が躍っていた。「クラリネット、チューニングいくよー。B♭出してー」指揮台の前で、部長の松宮先輩が声を張る。奏の隣で構える先輩たちが、当たり前のように楽器を口元へ運ぶ。奏も慌ててそれに倣う。――大丈夫、落ち着いて。音を合わせるだけ。けれど、楽器を構えた瞬間、手が少し震えているのに気がついた。(みんなの音の中で、私の音が……浮いたりしないかな……)不安が、呼吸を浅くする。「じゃあ、ロングトーンから!」部室に、最初の音が響いた。クラリネット、サックス、ホルン、トランペット、フルート――さまざまな音色が、一つの息で満ちていく。空気が震え、壁が共鳴し、身体の芯まで音が染み込んでくる。詩も、意を決して音を出した。まだ指もぎこちなく、息の入れ方も甘いけれど、それでも――確かに、自分の音がそこに混ざった。(ああ……これが、合奏なんだ)身体がじんわりと熱を帯びる。誰かと音を合わせることでしか得られない、一体感。そこに言葉は要らない。ただ、音が語りかけてくる。だが。「ちょっとストップ!」突然、合奏が中断された。「クラの1年、もう少し息入れて。音、芯がないよ」びくり、と身体が跳ねる。――指摘された。やっぱり、私の音、浮いてた……?「焦らなくていい。ロングトーンは、肺にしっかり空気をためてから。はい、もう一回いくよ」言ったのは、あの人だった。朝倉里菜先輩。バリトンサックスを膝に構えたまま、こちらを見るでもなく、淡々と指摘した。でも、どこか声に棘はなくて、むしろ音をまっすぐ見る人の言葉だった。「……はいっ」思わず、声が出た。音が、また動き出す。今度は少しだけ、奏の音が深くなった気がした。それに気づいたのは、自分だけじゃなかった。「うん、さっきよりずっといいよ」近くにいた西園寺先輩が、そっと笑いかけてくれた。(私、音の中にいる)気がつくと、心臓の鼓動と、音の波がひとつになっていた。初めての合奏。緊張も、戸惑いも、不安も――すべて、音に変えて。
