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音の向こうに

第1章 入部の日


四月の風は、まだ少し冷たい。制服のスカートがふわりと揺れて、岩渕 奏は校舎の影に一歩、また一歩と歩みを進めた。渡り廊下の窓から見えるグラウンドでは、新入生歓迎の部活動紹介が終わったばかりで、吹奏楽部の演奏が余韻のように心に残っていた。――やっぱり、あの音は特別だった。目を閉じると、あの低くて深い音が脳裏によみがえる。サックスの音。あの時、自分の心を動かした、あたたかくて、力強くて、どこか寂しげな音。名前も顔も知らないあの先輩の音が、今日の演奏にも混じっていた気がして、気がつけば足は音楽室の方へと向かっていた。「…こんにちは、あの……吹奏楽部、入りたいんですけど……」ドアの前で立ち止まって、思い切って声をかける。中にいた数人の上級生たちが顔を上げた。一瞬の静寂。そしてすぐに、にこやかな笑顔が返ってくる。「ようこそ! 新入部員? 名前は?」「岩渕 奏です。えっと、クラリネットが、やりたくて……」「クラ! いいね、ちょうど人数足りてなかったんだよ〜! 私、西園寺凛。打楽器担当だけど、クラのことも少しはわかるよ。楽器経験は?」「中学では、ちょっとだけ。でも、ちゃんと吹くのは、初めてで……」緊張しながら答えると、凛先輩は親しみやすい笑顔でうなずいてくれた。「大丈夫、最初はみんな初心者! それにうちのクラパート、優しい先輩多いし、ちゃんとサポートするから安心して」とそう言って案内された音楽室の奥。そこで、ひときわ静かな存在感を放っていたのが――「宮本先輩。新入生来ましたよー!」その名前を聞いた瞬間、詩の胸が少しだけ高鳴った。長い髪をひとつに結んだ背の高い女子生徒が、こちらを一瞥した。バリトンサックスのケースにそっと手を置きながら、彼女は静かに言った。「……よろしく。あとは、がんばって」そっけないその言葉に、なぜかあの音の記憶が重なる。もしかしたら、この人が――。「……!」奏はその場で、息を呑んだ。心の奥が、また小さく揺れた。春風が、窓の隙間から吹き抜けていった。
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