第12章 あの日の夜に、心が還る
風が吹いたわけでもないのに、背筋がぞくりと粟立った。
声のした方へ振り返った、その瞬間。
そこにいたのは、あの時の男だった。
買い物中に、ふと人の波から外れた一瞬。
人目のない路地で、不意に腕を掴まれて──
脇道へと連れて行かれた、あの恐怖の数分間。
肌に触れた手は冷たくて、でも、どこか熱を孕んでいた。
その目は、私の心の奥にまで指を突っ込むような、嫌な色をしていた。
『……っ、あなた…』
「ほら、やっぱ覚えてんだ。嬉しいなぁ」
黒髪が、ふわりと揺れた。
無造作に流れ落ちる前髪の奥、ぎらりと光る瞳。
笑ってるのに、笑ってない。
その顔を見た瞬間、胸がきゅう、と締めつけられた。
“怖い”のに、“目が離せない”。
「また会えるかな〜って思ってたけど、まさかこんなに早く会えるとは。運命?なーんてな」
『……』
わざとらしい口調の裏側に、明確な殺意が滲んでいた。
そしてその周囲では、青い炎がふたたび燃え始める。
──じりじりと焼ける空気。
──思考を邪魔する熱と煙。
“まただ”
あの時も、この感じだった。
距離が近づくほど、呼吸が浅くなる。
足の裏が、ぬるりとした熱を吸い込んでくるような感覚。
言葉にできない圧が、胸を押しつぶしてくる。
そして──
「聞こえる!? マンダレイです!」
唐突に、頭の中に声が響いた。
「ヴィラン連合の襲撃です!目的は…かっちゃんと、星野さん!!」
その瞬間、息が止まりそうになった。
なんで──どうして、私が。
隣には誰もいないはずなのに、視線の奥がじんじんと熱くなる。
「おやおや……もうバレちゃった?」
“あの男”が口元だけで笑った。
「ったく、今のヒーロー社会ってのは便利だな。テレパスまで使えるのかよ。つまんねぇ」
『あなた……何が目的……』
言葉を絞り出す声が、自分のものとは思えなかった。
けど、そう聞かずにはいられなかった。
男は何も答えず、ただ一歩、こちらに近づく。
「なーに、今はまだ……“挨拶”ってとこだよ。まだ名乗ってないしな」
青い炎が、足元からふつふつと立ち上る。
──その火は、まるでこの男自身が燃えているかのようだった。
震えていたのは、手でも、声でもない。
きっと、心だった。
けど、それでも。
『絶対に……仲間を守る。』
それだけは、譲れなかった。
