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軌道逸脱と感情の干渉について【チ。/バデーニ】

第8章 再構成された信仰仮説



《いよいよ、罰を受けるときがきたのかもしれません。もし彼が私のことを忘れても、それでもいいと思える日がきた──そう書こうとして、ペンが止まった。本当は、忘れないでいてほしい。彼の鋭い思考の隙間に、私の名前が、私の声が、ひとひらの灰のように舞う瞬間があってほしい。》

《彼の未来に、私の影が少しでも映っていればと願う。私の死が、彼の絶望を深めるのではなく、彼の歩む暗闇を照らす、ひとしずくの灯になればと。
いつか彼が真理に辿り着くとき、その風の中に、私の祈りが混ざっていますように。私の愛が、彼の呪いではなく、彼の翼になることを願って。》

文字は、ひとつひとつが彼女の心音のようだった。声なき声が、頁のあいだから私の胸へと流れ込んでくる。
読み進めるうちに、胸の奥で何かがきしんだ。長い年月をかけて堅牢に築き上げたはずの論理の壁が、たった数行の独白によって、音もなく瓦解していくのを、認めざるを得なかった。

私は感動していた。理屈ではなく、誇りや羞恥も超えて、ただ心が震えていた。
彼女がこの世に生きていたという事実が、こんなにも温かく、優しく、私の胸を満たすことなど、かつて想像もしなかった。
私が自らの影ばかりを睨んでいたときでさえ、彼女は私に触れ、確かに私の世界に何かを灯していたのだと、ようやく知ったのだ。

──その夜、私ははじめて泣いた。声を殺して、書斎の机に額を伏せて泣いた。
もう二度と会えないという喪失の痛みにではない。
彼女が、この世界のどこかで確かに私と心を通わせてくれたことへの、深い感謝に。
言葉にできぬほどの、静かな悦びに。
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