第6章 必要十分条件としての君
村の教会での暮らしは、都会の喧噪から隔絶された、静かで穏やかな日々だった。
毎朝の祈りと簡素な食事。野に出て薬草を摘み、干し、すり潰し、配合し、村人たちの痛みや熱を和らげる。
以前と変わらぬ仕事だが、決定的に違うのは、私の傍らにいつもバデーニさんがいるということだった。
バデーニさんは、この教会に左遷されてからも天文学の研究を手放さなかった。
限られた資料、道具、夜空と格闘しながら、彼は諦めを見せることなく星々と対話を続けている。 この村にはろくな天文台も、最新の書籍もない。それでも彼は、何とか書き写してきた自筆の論文や、古びたノートをもとに、毎晩遅くまで机に向かっていた。
私はその背中を見るたびに、胸がじんとする。
かつて彼が、自分の目を犠牲にしてまで追い求めたものを、今もなお手放さずにいること。
そして、その傍にいられることが、嬉しくて、怖かった。
「バデーニさん、そろそろお休みになりませんか? もう蝋燭も尽きそうです」
「いや、あと少しだけ。見えているうちに記録を……」
「見えているうちに、って……それは私の前で言うべき言葉ではありません」
思わず、声が鋭くなってしまった。
彼は驚いたように私を見上げ――その左目が、確かに、前よりもしっかりと私を捉えていた。
「バデーニさん、……左目、よく見えてきているんでしょう?」
「……ああ。君の輪郭はもう、ほとんど曖昧じゃない。君の瞳の色も、かすかに見える」
「本当に、よかった……でも、それならなおさら、休まなければ駄目です」
私は強く言いながらも、心のどこかで泣きそうだった。
バデーニさんの視力が少しずつ回復しているのは、私がそばで見ていて誰よりもわかっていた。
それがどれほど奇跡的で、どれほど大切なことか。
「これ以上、身体を壊してまで、何を残そうとされているのですか」
「私は、君との日々も記録したいんだよ」
「……そんなもの、書かなくても、私が覚えていればいいんです。全部、ぜんぶ、忘れませんから」
彼は静かに笑って、それ以上は言わなかった。