第29章 「善意の逆理 Ⅱ**」
「それが普通だよ。急にそんな話をされて、はいそうですかって受け止められる方が怖い」
「はまだ若いんだ。子供を持つとか、将来どうするとか、そんなのすぐに決められなくて当たり前」
「……でも」
「そもそも、まだの中には何も生まれてない。今あるのは、せいぜい……」
硝子さんは、心底嫌そうに目を細めた。
「の卵を今か今かと待ち構えてる、何億っていう五条の分身だけだ」
「……っ」
その絵面を想像したら、思わず吹き出してしまった。
「しょ、硝子さん……その言い方……」
「事実だろ」
「そ、そうですけど……っ。ふふっ、でも……そっか」
笑ってしまった拍子に、心の底で固まっていたものが、ふっとほどけた気がした。
「だから、罪悪感を持つ必要もない」
「……」
「五条に覚悟があることと、が今すぐ同じ場所まで行かなきゃいけないことは別だ」
硝子さんが、ゆっくりと私の髪を撫でる。
「追いつけてないなんて思わなくていい。はの速さで考えればいいさ」
「……私の、速さで」
視界がじわりと滲んだ。
「自分の人生だ。が決めればいい」
硝子さんはそう言って、頭から手を離した。
頭の上に残っていた温かさが、少しだけ名残惜しい。
「ただ、飲むなら早い方がいいぞ」
「……はい」
「明日、念のため検査する。今日はもう何も考えずに休め」
そう言い残して、硝子さんは部屋を出ていった。
静かになった部屋で、私は手の中の薬を見つめた。
小さな錠剤。
それなのに、さっきとは違う重さに感じた。
錠剤を口に含んで、水で流し込むと、薬はあっけないほど簡単に喉を通っていった。
飲んじゃった。
ううん。これでいいんだ。
ベッドから降りると、ひんやりとした床の感触が足の裏から伝わってきた。
窓の方へ向かうと、夜の闇が降りた窓ガラスに、ぼんやりと自分の顔が映っている。
じっと、ガラスの向こうの自分を見つめた。