第29章 「善意の逆理 Ⅱ**」
静まり返った部屋の中で、僕はちらりと視線を動かした。
「……伊地知」
「ヒッ、はいっ!?」
さっきから胃のあたりを押さえて縮こまっていた伊地知が、ビクッと肩を跳ねさせる。
「硝子、なんで怒ってるの?」
「…………私に聞かないでください」
心底疲れたような顔で、伊地知が目を逸らした。
(……なんでよ)
責任を取るって言ったのに。
『お前だけの問題じゃないだろ』
じゃあ、何の問題だっていうの。
ただ、一緒にいたいだけなのに。
男は分かってないって、どういうこと?
考えてもわかんねー。
僕は一度息を吐いて、顔を上げた。
「……それより、伊地知」
声をかけると、伊地知が恐る恐るこちらを見た。
さっきまでの緩んだ空気を、意識的に切り捨てる。
「ちょっと、調べて欲しいことがあるんだよね」
「は、はい」
伊地知が慌てて姿勢を正し、内ポケットから手帳を取り出す。
僕はソファの背もたれに体を預けたまま、声を一段階低く落とした。
「五条家から盗まれた、【執】の種子――しゅうじ、と呼ばれてる呪物」
「……五条家の、ですか」
手帳に向かっていた伊地知のペンが、一瞬だけ止まる。
御三家の内部情報に踏み込むことの重さを、彼なりに理解しているんだろう。
「そ。それと」
先ほどの悠蓮の言葉が、頭をよぎる。
『相変わらず、その眼は何も見えていないのだな』
六眼を指して言ったのだとしたら、ただの挑発じゃない。
あいつは、僕に見えていない何かを知っている。
そして――
「魔女……悠蓮が言ってた、『あらや』って言葉について」
ただの偶然とは思えない。
の魔導が、あんなに揺らいだのは初めてだった。
何か、きっかけがあったに違いない。
盗み出された呪物。
悠蓮が口にした不可解な言葉。
バラバラに見えるそれらが、嫌な形で繋がりそうな気がしていた。