第6章 「月夜、心を濡らす」
「――可愛い生徒がいたからやめといたよ」
「……っ」
その一言が、頭に鈍く響く。
可愛い、という言葉よりも――“生徒”という単語が重くのしかかる。
(……私は、先生にとって――“生徒”なんだ)
さっきまで、胸の奥で燃えていた熱が、冷たい水をかけられたみたいに沈んでいく。
当たり前だ。
私は、先生の生徒で。
あのキスも、この手の温もりも――きっと一瞬の衝動だっただけ。
それでも。
どうして、こんなに痛いんだろう。
どうして、彼の言葉ひとつひとつで、こんなにも息が苦しくなるんだろう。
顔を上げられなかった。
笑いながら補助監督と話す先生の声が、遠くに聞こえた。
言えなかった。
あとほんの少し、勇気があれば。
届いていたかもしれないのに。
扉が開いて、手が離れた。
伝えたかった言葉は、もう二度と取り戻せない場所へ落ちていった。
ただ、手のひらに残ったぬくもりだけが、
それを忘れるなと、焼きつくように疼いている。
ふと見上げた夜空。
ガラス越しに、月が浮かんでいた。
雲ひとつない夜に、滲むような白銀の光が、
ビルのガラスを滑り、街の輪郭をやさしく縁取っていた。
まるで何も知らないふりをして、
世界を美しく包もうとするかのように――
その夜の月は、たしかに綺麗だった。
でも私は、そう思えなかった。