第6章 「月夜、心を濡らす」
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任務を終えて高専の門をくぐると、夜気の冷たさが肌に刺さる。
五条は肩を回し、わざとらしく大きな欠伸をひとつ。
「……やれやれ。面倒な一日だったな」
そう呟いて、自分をごまかすように首をすくめる。
けれど歩き出した足は、妙に重かった。
気づけば、ポケットに入れた手がぎゅっと拳を握っている。
(……)
名を呼ぶように、思考がふとそこへ向かう。
あの震える声、潤んだ目――
“私は……先生が――”
……その先を、五条は聞けなかった。
(知りたい、なんて思っちゃいけないのに)
でも、心のどこかが、かすかに疼いていた。
その疼きを断ち切るように――
「五条さん!」
鋭い声が響き、伊地知が駆け寄ってきた。
額には汗がにじんでいる。
「なに? 僕、任務帰りで疲れてんだけど?」
わざと気怠げに言いながらも、五条の足は止まる。
伊地知の顔には、焦りと緊張が色濃く滲んでいた。
「……が、楽巌寺学長が、来られています」
「え? もしかして京都から徘徊して、東京まで来ちゃったの?」
皮肉を交えて返したその瞬間――
伊地知の顔が、さらに険しくなる。
「……そんな冗談を言ってる場合じゃありませんよ」
その言葉の硬さが、ただ事ではない空気を伝えていた。
「査問会議です!」
「……は?」
五条の目が細められる。
口元からは笑みが消え、足がぴたりと止まった。
「誰の? まさか、また悠仁? それはとっくに決着したはずだろ。おじいちゃん、とうとうボケちゃったの?」
伊地知は、息を呑むように一瞬だけ言い淀んでから――言った。
「違います……対象は――さんです」
五条の空気が変わる。
「おそらく……悠蓮の件が上に漏れたかと……」
夜の風が、彼の白髪をなぶる。
しばし無言のまま、五条は空を仰ぎ――
闇に浮かぶ月を、目隠し越しにじっと見上げた。
「……今日は一段と綺麗だね」
吐き捨てるようなその声に、笑みはなかった。
そして次の瞬間――風が止んだ。
静寂が、嵐の幕開けを告げる。