第5章 「境界に口づけて」
――体が揺れている。
はゆっくりと瞼を開いた。
視界の端で、蛍光灯の光が流れていく。
自分の体が、誰かに預けられていることに気づいた。
「……せん、せい……?」
かすれた声で呼ぶと、頭上から声が返ってきた。
「あ、起きた?」
視線を上げる。
そこには、自分をのぞき込む五条の顔。
けれど――肩越しに感じる腕の力は、驚くほどしっかりしていた。
抱えられている。
その事実に気づいた瞬間、顔が一気に熱を帯びる。
「な、なんで……」
「トイレで倒れてたから」
それ以上の説明はない。
ただ、淡々とした声だけが耳に落ちる。
五条の歩みは止まらない。
その胸に預けられたまま、は視線を逸らし、強く拳を握った。
「……自分で歩けます。降ろしてください……」
か細い声でそう言うと、五条は少しだけ首を傾げて笑った。
「無理しないの」
軽い言い方なのに、有無を言わせない響きがあった。
はそれ以上何も言えず、大人しくその腕の中に身を預けた。
五条の足音と、遠ざかる廊下のざわめきだけが耳に残る。
やがて扉が開く音がした。
「なんだ、硝子いないのか」
医務室の中を見渡し、五条がぼそりと呟く。
白いカーテンと消毒液の匂いが、無人の静けさをより際立たせていた。
五条はまっすぐベッドに向かい、をそっと下ろした。
柔らかなシーツの感触が背中に広がる。
「はい、到着」
「……ありがとうございます」
は視線を落としたまま、小さく礼を言う。
五条は何も言わず、ベッド脇の棚から布団を取り出し、にそっとかけた。
そのまま椅子を引き寄せ、自分もベッド脇に腰を下ろす。
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
時計の秒針の音と、消毒液の匂いだけが満ちている。