第14章 「その花は、誰のために咲く」
「うわっ、す、すみませんっ!」
思考の渦を断ち切るように、目の前で誰かの声が跳ねた。
「きゃっ……!」
視界が一瞬ぐらりと揺れて、身体が後ろによろける。
ぶつかってきたのは、廊下を走っていた補助監督のひとりだった。
抱えていた書類がぶつかる勢いで宙に舞い、白い紙がばさばさと音を立てて散らばる。
「あああっ、やば、すみませんっ! 急いでて……!」
彼は慌てて床にしゃがみ込み、あわてて書類をかき集め始めた。
「わ、私も前を見てなくて……ごめんなさい!」
わたしも急いでかがみこみ、紙を拾い集める。
紙は思ったよりも広範囲に散っていて、どこか気まずさもあって、黙々と拾い続けた。
一枚、床の端に滑りかけていた紙に手を伸ばす。
同じタイミングで、向かいからも手が伸びてきた。
その瞬間――
指先と、彼の手がふと触れた。
ぴり、と何かが走った気がした。
皮膚の内側に、微細な電流のような震え。
視界が、ぐらりと揺らぐ。
(……なに、これ――)
頭の中に、急に映像が流れ込んできた。
芝生の庭で、小さな白い犬とじゃれ合う姿。
明るい笑い声と、尻尾をちぎれんばかりに振る犬の後ろ姿。
その犬が老いて、ふかふかの毛布の上で静かに眠る。
夕陽のなか、黙ってその頭を撫でる青年の背中。
その背中は、いま目の前にいる補助監督のものだった。
(え……?)
わたしは、紙を拾う手を止めていた。
「っ、大丈夫ですか?」
目の前で声がして、ふいに現実に引き戻される。
その瞬間、すべての映像が霧のように消えた。
「あ……っ、ごめんなさい。だ、大丈夫……です……」
声がうまく出なくて、少し掠れていた。
何が起きたのかわからない。
でも――
今の感覚……。
(……京都で、先生に触れたとき……)
(あのときと……似てる……)
あのときも、ただの触れただけなのに。
肌を通して、言葉では説明できない“何か”が、頭の奥に流れ込んできた。
まるで、相手の記憶を覗いてしまったかのように――
そんなこと、あるはずないのに。