第12章 「極蓮の魔女」
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鴨川の水音が、さらさらと耳に心地よかった。
木の床に座布団が敷かれ、川面から吹き上がる風が、ほんの少しだけ肌をくすぐる。
視界の端には、ゆらゆらと灯る行灯の明かり。
向かいの席で、先生が湯葉のお造りを箸でつまんでいた。
「……ここ、予約1ヶ月待ちって聞きましたけど、よく取れましたね」
わたしがそう言うと、先生はにやりと笑う。
「できる男は段取りも完璧なんだよ」
「……どうせ伊地知さんを脅して取らせたんですよね」
「んー、この京都牛美味しいね」
わざと話題を逸らすように言って、口にした肉をじっくりと味わい始める。
頬が緩み、目元まで満足そうに綻んでいる。
その様子に、つい、くすっと笑ってしまった。
でも、こうして川の風に吹かれていると
不思議と心が落ち着いていくのがわかった。
「……先生」
湯気の立つ出汁巻きに箸を伸ばしながら、わたしは口を開いた。
「どうして、あの記録は封印してあったんでしょうか?」
先生は、箸を持ったまましばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「結構手の込んだ封印だったよ。僕にとっては、RPGの開始5分で出てくる宝箱くらい簡単だったけどね」
「まぁ、でもあれは……外はもちろん、五条家の中の人間にさえ“触れさせたくなかった”ってこと」
その言葉に、思わず唇が乾く。
あの布の奥から感じた“重さ”は、気のせいじゃなかったんだ。
「……じゃあ……」
わたしは、一度呼吸を整える。
「先生は……当時の当主は、悠蓮の味方だったと思いますか?」
言った瞬間、風が少しだけ強く吹いた。
川面がさざめき、行灯の火がかすかに揺れる。
先生の目が、すっとわたしを見た。
「……どうだろうね」
静かな声だった。
「守ろうとしていたのか、それとも……排除しようとしていたのか」
先生はそう言って、箸を置いた。
「今の状況からは、どっちとも言えないね」
胸の奥で何かがざらりと軋むのを感じた。
遠い時代に追いやられた真実は、まだ誰かの手の中に――
それとも、闇の底に、ひっそりと沈んでいるのかもしれない。