第11章 「魔女はまだ、花の名を知らない」
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の背中が、角を曲がって見えなくなるまで、
じっと、その姿を目で追っていた。
「……ったく」
小さくため息をつきながら、ベンチの背に体を預ける。
青く晴れた空が視界いっぱいに広がった。
「……もうちょいだったのになぁ」
ぼやくように呟いて、
ついさっきまで指先に残っていたぬくもりを、そっと握り直す。
ほんの数センチ。
あと一歩で届いた唇と唇。
閉じられた瞳。
ほんのり染まった頬。
期待と不安が入り混じった、あの顔。
(……キスしてるときの、あの感じが……)
彼女の世界が、僕だけになる。
何も考えられなくなるくらい、ただ僕に、
全部を預けてくるあの感じ――
触れた瞬間、彼女の呼吸も、鼓動も、熱も……
すべてが僕ひとりに向いてるってわかる。
(……あのときだけは、本当に“僕のもの”になる)
彼女の感情も、身体も、心の奥の震えさえも――
全部、ぜんぶ僕に染まっていくあの感覚が、たまらない。
(キスひとつで、こんなに満たされるって……)
正直、過去にいくらでも“キス”なんてしてきた。
場の流れで、関係の一部で、なんとなくの甘さで。
けど――
とのそれは、まるで別物だった。
(……だから、もっと触れたくなる)
……本当は、あの夜に――もっと進めるチャンスがあった
訓練が終わった後、理由なんてなんでもよかった。
を執務室に呼び出して――
彼女がドアを閉めるのを待たずに、腕を引いた。
「え、せんせ――」
言葉の途中で、唇を塞いだ。
もう、我慢できなかった。
小さな体を抱きしめた瞬間、
は一瞬びくっと震えたけど、それでも逃げなかった。
それだけで、心臓が跳ねるほど嬉しくて。
(……もう、の全部をこの手で触れたくて)
胸に手を滑らせて、指先が触れようとした、その瞬間――
ぱしっ、という音がした。
「……っ」
僕の手首を掴んだその手は、
いつものとは思えないほど、鋭くて、速かった。
驚いて見下ろすと、彼女の顔は真っ赤で、
けれど、目だけはまっすぐに僕を見ていた。
(……ああ)
これ以上、まだ触れたらダメなんだって、
その目が、ちゃんと教えてくれた。