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【呪術廻戦/五条悟R18】魔女は花冠を抱いて眠る

第9章 「あなたの知らないさよなら」


***


轟音が、空気を揺らした。


ガラスの向こう、ひとつの機体が地を蹴って、空へと跳ね上がる。
じわじわと角度を上げながら、滑走路をまっすぐに走り――
やがて、ふわりと浮き上がった。


尾翼が遠ざかっていく。
青みがかった春の空へ、小さな影が吸い込まれていった。


静かに響くアナウンスの声が、耳に届いているはずなのに、どこか遠い。
音だけが、曇ったガラス越しににじんでいた。


は、ロビーの隅にあるベンチに腰掛けていた。
旅客の姿もまばらな、小さな地方空港。
冷房の効いた室内に、ジェット機の余韻だけが漂っている。


膝に置いた小さなショルダーバッグ。
その中には、深雪から手渡されたパスポート。
偽名で発行された身分証。
当面の生活費として渡された現金の束。


旅券に記された名前は――もう、“私”ではなかった。


(……あれから、まだ一ヶ月しか経ってないのに)


まるで、全部が何年も前のことみたいだった。


高専を出た日。
深雪の手引きで移動し、誰も来ない郊外のアパートに身を潜めた。
テレビもネットも使わず、ただじっと時間が過ぎるのを待っていた。


一晩中、天井を見ていた日もあった。
眠ってしまえば、夢に“彼”が出てきそうで、目を閉じるのが怖かった。


けれど――



「……今日から、違う名前の私が、生きるんだ」



誰に言うでもなく呟いた声は、自分の喉奥で吸い込まれて消えた。


高専のことも。
魔導のことも。
悠蓮のことも。
家族のことも。



そして――先生が好きだったことも。



全部、ここで置いていく。


全部、忘れて生きていく。



指先が、無意識に唇へと触れる。
あの夜の感触が、まだそこに残っている。



『先生、また明日ね』



そう言って、笑顔のまま、彼の部屋を後にした。
胸が熱くて、涙が出そうで、それでも振り返らずに扉を閉めたあの夜。


(……最初から、最後のつもりで会いに行ったのに)


でも。
でも、それでも……ほんの少しだけ期待してた。


あの夜のキスが、何かを変えてくれるんじゃないかって。



けれど、そうじゃなかった。
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