第9章 「あなたの知らないさよなら」
五条は、しばし言葉を飲み込んだ。
だが次の瞬間――顔がピクッと引きつる。
「……いや、それは、ない。無理無理無理無理」
「が他のやつに抱かれる? 誰と? 結婚? どこの馬の骨と? は!? ちょ、やめて、そういうの想像させないで!!」
急に声が上ずり、身を乗り出して硝子の肩をぐいぐい揺らしはじめる。
「落ち着け、五条。もしもの話だろ」
硝子は肩を揺らされながらも、まるで動じず低く呟いた。
その一言で、五条の動きがぴたりと止まる。
肩から手を離し、わずかに身を引く。
「……あの子を幸せにできるのは、僕しかいないんだから」
缶を手の中で転がしながら、静かに続ける。
「……でも、は、自分が助かりたいから逃げたわけじゃない」
「きっと、僕や、みんなの重荷になりたくなかった。……そういう子だからさ」
その声には、怒りでも悲しみでもない、
ただ深い理解と悔しさが滲んでいた。
「その覚悟とか、気持ちとか、いろんなもの考えると……」
言葉が途切れた。
しばらく、五条はうつむいたまま黙っていた。
そして――
「……僕が、を高専に連れてきた」
こぼれた声は、自分自身に言い聞かせるようだった。
「もし、僕と出会わなかったら――」
「……もっと、普通に、生きていけたのかな」
自嘲にも似た笑みが、唇の端にかすかに浮かぶ。
だがその目には、影が落ちていた。
硝子は、それを横目で見ながら――
黙って缶コーヒーをひとくち、口に含んだ。
ふいに、五条が呟く。
「……あれ? なんで硝子、僕がのこと好きだって知ってんの?」
硝子は、何も言わずにポケットからタバコを取り出した。
火をつけると、ひとつ深く吸い込み、肺の奥に煙を落とす。
それは、五条の言葉に対する返答でも、肯定でもなかった。
ただ――彼女なりの、沈黙の間合いだった。
吐き出された煙が、風に流れて、淡くほどける。
「……昔、大学の頃さ」
静かに、口を開く。