第8章 いないひと
【ニェンの場合】
屋敷の裏手にある、陽の差しにくい廊下で――
ニェンは煙草をふかしていた。
壁にもたれたまま、腕を組み、天井を見上げる。
薄く吐いた煙が、ぼんやりと宙へ溶けていった。
ルーサーに呼ばれたのは、ついさっきのことだ。
「……よくやってくれたね。たいしたものだ」
その声を聞いた瞬間、ニェンの耳がぴくりと動いた。
ルーサーの手が、頭に触れる。
指先が耳の後ろをくすぐるように撫で、顎の下を優しくなでる。
「昨日すぐに褒めてやれなくて、ごめんね」
そのまま、ルーサーはニェンを膝の上に引き寄せた。
背中を包むように抱えながら、何度も「いい子だ」と低くやさしい声で囁く。
ニェンは――
喉をゴロゴロと鳴らしていた。
眉尻がゆるみ、目はとろけるように細くなり、
耳を伏せながら、素直に甘えていた。
その記憶を思い返すだけで、口元がゆるんでいく。
「……ククク……」
喉の奥からこぼれる笑い声。
上機嫌な猫のような気配が、煙のなかにまぎれた。
ふと、視線を屋敷の方へ向ける。
昨日の追い込み――
とニョン、あいつらが、いい感じに追い詰めてくれたんだろう。
ラットマンがどこから出てくるか。
どうやって逃げようとするか。
結果を見れば、答えはひとつだった。
「……なかなか、やるじゃねぇか」
煙草の灰を指先で弾きながら、ぽつりとつぶやく。
べつに褒めてるつもりはなかった。
けれど、その声は、少しだけやさしかった。